大判例

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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)799号 判決 1987年5月18日

第一事件原告

加藤奉榮

外一〇名

第二事件原告

平木和恵

右法定代理人後見人

平木葉子

外四名

第三事件原告

安田キミ

外二名

右原告一九名訴訟代理人弁護士

後藤孝典

弘中惇一郎

山口紀洋

外二名

第一ないし第三事件被告

右代表者法務大臣

遠藤要

右訴訟代理人弁護士

鎌田寛

右指定代理人

横山匡輝

外九名

第一ないし第三事件被告

科研薬化工株式会社訴訟承継人(第一・第二事件)

科研製薬株式会社

右代表者代表取締役

沢啓祥

大森保

右訴訟代理人弁護士

田原勉

和田正隆

岩原武司

第一事件及び第二事件被告

武田薬品工業株式会社

右代表者代表取締役

梅本純正

右訴訟代理人弁護士

木崎良平

日野国雄

横山茂晴

第一事件及び第二事件被告

吉富製薬株式会社

右代表者代表取締役

中冨義夫

右訴訟代理人弁護士

石井通洋

川合孝郎

第一事件被告

小野薬品工業株式会社

右代表者代表取締役

小野順造

右訴訟代理人弁護士

高坂敬三

第一事件被告

住友化学工業株式会社

右代表者代表取締役

土方武

第一事件被告

稲畑産業株式会社

右代表者代表取締役

稲畑勝雄

右両名訴訟代理人弁護士

松本正一

橋本勝

諸石光

主文

別表第一請求認容金額一覧表記載の各原告に対し、同表「対応被告」欄記載の被告らは、各自、同表「認容金額」欄記載の金員及びその内同表「内金額」欄記載の金員に対する同表「遅延損害金起算日」欄記載の日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

別表第一記載の原告らの同表「対応被告」欄記載の被告らに対するその余の各請求及び被告国に対する請求並びにその余の原告らの各請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、別表第一記載の各原告と同表「対応被告」欄記載の被告らとの間においては、右各原告に生じた費用の四分の一ずつを当該被告らの負担、その余を各自の負担とし、原告らと被告国との間においては全部を原告らの負担とし、別表第一記載の原告らを除くその余の原告らと被告国を除くその余の被告らとの間においては、各自の負担とする。

この判決の第一項は、元金及び遅延損害金の各三分の一を限度として、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  別表第二原告請求金額一覧表記載の原告らに対し、同表「対応被告」欄記載の被告らは、各自、同表「請求金額」欄記載の金員および同表「内金額」欄記載の内金に対する同表「遅延損害金起算日」欄記載の日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言(被告国)

第二  当事者の主張<以下、省略>

理由

第一クロロキン製剤とその副作用としての網膜症

一クロロキンとクロロキン製剤

1  クロロキンは、一九三四(昭和九)年、ドイツで合成された化学物質であり、その後、これをリン酸、オロチン酸又はコンドロイチン硫酸などと結合させた化合物及びこれらの化合物を含有する製剤(クロロキン製剤)が、医薬品として使用されてきたこと、クロロキン製剤は、当初、抗マラリア剤として使用されていたが、第二次世界大戦以後、リウマチ、エリテマトーデスに対しても有効として用いられるようになり、更に、わが国では、慢性腎炎に対しても有効であるとして用いられてきたこと、厚生大臣は、昭和三〇年三月一五日、燐酸クロロキン及び燐酸クロロキン錠を第二改正国民医薬品集に収載して公布し、同三六年四月一日、リン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠を第七改正日本薬局方に収載して公示し、更に同四六年四月一日、これらを第八改正日本薬局方に収載して公示したが、その後同五〇年ごろからクロロキン製剤の製造、輸入、販売が実質的に停止している状況にあるとして、同五一年四月一日公示の第九改正日本薬局方には、これらを収載しなかつたこと、以上の各事実は、各当事者間に争いがない。

2  次の各事実は、原告らと各当該被告製薬会社との間において争いがなく、原告らと被告国との間においては、その内容登録、許可、承認に関する事実について争いがなく、その余の事実は弁論の全趣旨によつてこれを認めることができる。

(一) 被告吉富は、昭和三〇年五月、厚生大臣に対し、国民医薬品集燐酸クロロキン錠を医薬品輸入販売業登録品目に追加する(登録の変更)申請をし、同年六月二日、厚生大臣のその旨の登録を受け、同年一二月以降、ドイツ・バイエル社から、一錠中にリン酸クロロキン二五〇ミリグラムを含有するレゾヒン錠の輸入・販売を始め、更に、同三四年一一月、厚生大臣に対し、同じく燐酸クロロキン錠を医薬品製造業登録品目に追加する(登録の変更)申請をし、同三五年一一月二五日、厚生大臣のその旨の登録を受け、同年一二月二一日以降、一錠中にリン酸クロロキン一〇〇ミリグラムを含有する腸溶性レゾヒン錠の製造・販売を始めた(ただし、本件には腸溶性レゾヒン錠は直接の関係はないので、以下、単に「レゾヒン」というときは、輸入にかかる前記二五〇ミリグラム含有レゾヒン錠のみを指す。)。そして、被告吉富は、これらレゾヒンをすべて被告武田に販売し、被告武田が、国内においてこれを一手に販売した。

レゾヒンの適応症は、昭和三〇年の発売当初、マラリア、急性・慢性エリテマトーデス(後に亜急性・慢性エリテマトーデスに変更)とされていたが、同三三年八月、慢性関節リウマチ、腎炎などが追加された。

(二) 被告住友は、厚生大臣に対し、国民医薬品集燐酸クロロキン錠を医薬品製造業登録品目に追加する(登録の変更)申請をし、昭和三五年二月六日、厚生大臣のその旨の登録を受け、同三六年一二月以降、一錠中にリン酸クロロキン一二五ミリグラムを含有するキニロン錠の製造・販売を始め、また、同三八年一月以降、一錠中にリン酸クロロキン五〇ミリグラムを含有するキニロン錠の製造・販売をも始めた。そして、被告住友は、これらキニロンをすべて被告稲畑に販売し、被告稲畑が、国内において一手に販売した。

キニロンの適応症は、昭和三六年の発売当初から、急性・慢性リウマチ様関節炎、亜急性・慢性エリテマトーデス、腎炎等とされていた。

(三) 被告小野は、昭和三五年九月一〇日、厚生大臣に対し、慢性腎炎を効能として、キドラ(一錠中オロチン酸クロロキン一〇〇ミリグラム含有)の製造許可申請をし、同年一二月一六日、厚生大臣の許可を受け、同三六年一月二〇日からキドラの販売を始めた。更に、被告小野は、厚生大臣に対し、キドラにつき、昭和三六年五月一五日妊娠腎、リウマチ性関節炎の、同三八年八月一〇日気管支喘息、エリテマトーデス、日光性皮膚炎の、同三九年四月二四日てんかんの各効能追加申請をし、厚生大臣から、同三六年一一月六日、同三八年一二月一三日及び同三九年一一月一三日に各申請にかかる効能追加の承認を得た。

(四) 被告科研(昭和五七年一二月三日、被告科研製薬株式会社に合併された科研薬化工株式会社)は、昭和三六年一二月九日、厚生大臣に対し、腎炎、ネフローゼを効能として、CQC(一錠中コンドロイチン硫酸クロロキン一〇〇ミリグラム含有)の製造承認を申請し、同三七年三月三一日、厚生大臣の承認を得、更に、同年九月一三日、厚生大臣に対し、CQCにつき関節ロイマチスの効能追加申請をし、同年一二月一三日、厚生大臣の承認を得、同三八年三月から、CQCの販売を始めた。

被告科研は、昭和三八年一二月一七日、厚生大臣に対し、CQCについて、エリテマトーデス、日光性皮膚炎等の効能追加申請をし、同三九年六月二九日、厚生大臣の承認を得た。

二クロロキン網膜症

1  クロロキン製剤の服用による副作用として、クロロキン網膜症が発生することがある事実並びに同症の主要な症状とその経過及び特徴が次のとおりである事実は、各当事者間に争いがない。

(一) 眼底変化

初期の症状として、黄斑部中心窩反射の消失、網膜色素の不規則化が現われ、進行すると、黄斑部に色素が沈着し、その周辺部は脱色素化して逆にやや明るくなり、また更にその周囲に色素沈着が取り囲む、ブルズ・アイと呼ばれるドーナツ様の網膜変性を示すようになる。更に網膜変性が進行すると、網膜全体が汚く混濁し、網膜血管は狭細化し、視神経乳頭は蒼白化し、視神経が萎縮する。最も進行した場合は、色素変性が網膜全体に及ぶ。

(二) 視野変化等

眼底の変性にほぼ対応して、暗転と視野狭窄によつて、視野欠損が生ずる。視野変化はまず傍中心暗点として現われ、進行するとこれが輪状暗点に発展する。この場合には、視力低下は比較的早く出現し、中心暗点が発生すれば、視力は極度に低下する。視野変化のもう一つの型は、周辺視野の狭窄をもたらすもので、この場合には、中心視力は最後まで比較的良く保たれるが、網膜変性はむしろ重篤である。このいずれの型であつても、症状が進行して網膜全体に変性が及ぶと、視力は極度に低下し、失明ないし失明に近い状態に至る。他に色覚異常や夜盲が発生する例もある。

(三) 特徴

クロロキン網膜症は、不可逆性であり、クロロキン製剤の服用を中止してから半年以上も経過した後に初めて出現する場合もあり、一度発生するとクロロキン製剤の服用を中止してからも進行し、最後には失明に至る重篤な障害であるうえ(ただし、ごく初期に服用を止めた場合にも常に不可逆的であるか、また服用中止後も常に病変が進行するか、という点については争いがある。)、これに対する有効な治療法が現在のところ全くなく、したがつて、きわめて重大な副作用である。

2  右のようなクロロキン網膜症の症状、特徴をいま少し詳しくみることとする(以下、認定に用いる書証の内、関係当事者間において成立に争いのないものについては、その旨の説明を省略する。)

右1の争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 総説

クロロキン網膜症の症状には、個人差が大きく、症状の進行速度も、患者によつて、また一人の患者でも時期によつて、必ずしも一様ではないが、全体としては、同症は、かなり特徴的な症状を呈する疾患である。病変は、基本的には両側性であり、かつ、対称性の変化を示すことが多いが、左眼と右眼とで、症状の程度、進行や型が異なる場合もある。その特徴は、一言で言えば、前記のとおり、ごく初期の例外を除いては不可逆的であり、投薬を中止しても進行することが多く、遂には失明に至る重篤な疾患であり、予防も困難で、治療法もないという点にある。

(二) 眼底所見

ごく初期には、黄斑部の浮腫、混濁、色素配列の乱れ、粗感、中心窩反射の消失等がみられることが多い。この時期の眼底所見と視力、視野との関係については、必ずしも眼底所見と同時に視機能の異常が現われるものではなく、眼底所見に異常があつても視力、視野は正常な場合があり、また視機能の異常が眼底所見に先立つて起こる場合もある。

更に進行すると、黄斑部中心窩付近は色素沈着のため暗く(暗赤色を呈する)、それを囲んで輪状に脱色素による明るい部分があり、更にその周囲を色素沈着が取り囲む特徴ある所見(前記ブルズ・アイ。ドーナツ状眼底)を呈することが多い。これは、クロロキン網膜症のみにみられる所見ではないが、この症状を呈する疾患が比較的まれであり、かつ、いずれもクロロキン網膜症との鑑別が可能であることから、他の症状と併せ見ることによつて、クロロキン網膜症診断の有力な根拠となるものである。もつとも、ブルズ・アイ所見を示さず、黄斑部全体にびまん性の変性がみられることもあるから、クロロキン網膜症であれば必ず眼底にブルズ・アイ所見がみられるということはできない。

一般にブルス・アイの時期まで(この時期を一応初期と考える。)は視力は良好であるが、視野では程度の差こそあれ、輪状暗点を認めることが多い。

更に症状が進めば(一応中期とする。)、変性は黄斑部から周囲に広がつて行く。クロロキン網膜症では下方の網膜がより侵されやすいため、視野では上側の欠損の方が先に現われることが多い。この時期に中心窩が侵されれば視力は急激に悪化する。

この時期に至ると、網膜のみならず、乳頭や血管にも病変が認められる。すなわち、乳頭は萎縮、褪色し、血管、殊に動脈は狭細化することが多い。

末期に至ると変性は網膜全体に及び、網膜が汚く白茶けた感じとなる。乳頭の萎縮、褪色も高度となり蒼白化し、血管も極端に狭細となる。

以上は、黄斑部に病変が初発した場合の典型的な眼底所見の経過であるが、他に網膜周辺部に病変が初発する場合があり、その場合は、周辺部網膜が変性し、血管が狭細化する等の症状が最初に現れる。

クロロキン網膜症の眼底所見のうち、動脈の狭細化については、投薬原疾患である腎炎等に基づく高血圧症からも同様の症状が現われてくるので注意を要する。しかしながら、血管の変化は、クロロキン網膜症の場合むしろ二次的なものであり、他の症状と併せ見ることによつて、視力、視野の障害がどの疾患に基づくものであるかは十分鑑別が可能である。

色素斑や出血は、クロロキン網膜症にはあまりみられない症状であるが、まれにはこれが存在することもある。

(三) 視力

初期には視力は比較的良好であることが多い。

中期に至ると多くは視力が低下し、〇・一以下となることが多いが、例外的に、中心窩付近が僅かでも健在であれば、比較的良好な中心視力が残存する場合がある。これは、視力がもつぱら中心窩付近の機能に存在していることに由来する。

末期に至れば視力は更に悪化し、失明に至ることもある。しかし、極めて例外的に、変性が眼底全体に広がつているにもかかわらず、中心窩付近のみ健在な場合、中心視力が良好なことがある。

以上のとおり、クロロキン網膜症の視力分布には幅があり、個人差が大きい。中心視力のみが中期、時には末期まで良好なことがあるのは、本症では黄斑部の傍中心部又は周辺部が比較的障害されやすく、中心窩が侵されにくいためであるといわれている。しかし、このように中心視力の良好な場合でも、長年月の経過の後に中心窩が侵され、失明に近い状態に陥ることがまれではないので、予後は楽観できない。また、中心視力のみ残存していてもその部分の視野が極端に狭い(二ないし三度以内のものが多い。)ので、個々の文字は判読できても読書は困難となる等、生活上には支障が大きい。

(四) 視野

視野は、ほぼ眼底の変性に対応して欠損部分(暗点)が病症の進行につれて広がつて行く。

この視野異常の型としては、大別して輪状暗点型あるいは傍中心暗点型と周辺視野狭窄型とがみられるようであるが、同一症例でこの双方がみられることもあり、機械的な分類にはなじまない。

黄斑部に病変が初発する場合の典型的な視野症状の経過は以下のとおりである。

初期の段階でもほとんど視野欠損があり、傍中心暗点ないし輪状暗点を認める。

中期にはこの暗点が周辺部に拡大する。前述のとおり上方の視野欠損の方が先に出やすい。

末期には暗点の拡大の結果、三日月形の視野が周辺に残存するだけの状態になつたり、あるいは中心視野のみがわずかに残存するだけの状態になつたりすることが多い。周辺視野のわずかな残存があつても、この部分の視力は非常に低いので、視機能は極端に低下する。

(五) その他の他覚的症状

(1) 網膜電位図(ERG)

クロロキン網膜症においては、ERGは、早期から変化を認めることが多いので、診断に当たつて重要な検査法といえる。

a波、b波の減弱、律動様小波の消失、b波頂点延長等の症状がしばしば認められ、また、反応全体が病変の進行に伴い徐々に悪化し、最終的には消失してしまうことが多い。

(2) 暗順応

クロロキン網膜症においては、暗順応の障害は比較的遅く現れるが、中期以降になるとかなりの異常を認める例も多く、殊に第二次曲線の異常が認められることが多い。

かなり進行したクロロキン網膜症で、ERGの変化が強いのに光覚が良好であるとし、これを網膜色素変性症との重要な鑑別点であるとする見解があり、確かに一般論としてはそのようにいえるであろうが、クロロキン網膜症においては、網膜色素変性症に比べて暗順応の障害の現われるのが一般的に遅いということはできるものの、そのかなり進行した状態でも光覚が良好であるとは必ずしもいえない。

(3) 色覚

クロロキン網膜症では、中心窩が比較的末期まで障害されにくい関係上、色覚は比較的遅くまで侵されにくい。しかし、末期に至ればほとんどの症例で何らかの色覚異常が認められる。

(六) 服用量・服用期間と発症との関係、発症率

クロロキン製剤の服用の量・期間とクロロキン網膜症の発生との関係については、多くの報告がなされているが、結局のところ、それについて、相関関係を定量的に明示して、多くの承認を得られたような報告はなく、数量的な相関関係を確定することはできないのであり、せいぜい、マラリアの予防又は治療のために短期間、少量を服用する程度では、クロロキン網膜症はまず発生せず、その程度ならば安全であろうと言えるのみで、それを超えて長期に連用する場合の安全限界値を示すことは、不可能である(文献中に安全量を示す例もあるが、十分な根拠のあるものとは認められない。)。ことに、わが国では、外国に比較すると少量の服用で発症している例が多く、人種差に関係している可能性があり、また、小児は、成人より少量・短期間の服用で発症する危険がある。また、服用後発症までの期間も一定せず、服用開始後一年未満で発症する例がある一方、服用を止めてから数年を経た後に発症する例もある。以上の点に関連して、発症の割合も、服薬の量・期間を抜きにしては考えられないが、一定の量・期間の服薬を前提として、発症率を示すことも意味のないことになる。もつとも、わが国におけるクロロキン網膜症の発生率は、長期連用者の内一パーセント前後であるといわれている。

(七) 予後

クロロキン網膜症の予後については、視力・視野にやや改善をみたと報告例もあるが、それは長期観察の上でのものではなく、一般には、予後は非常に悪いとされており、多くの文献が、クロロキン網膜症の不可逆性を明言している。不可逆性の原因については、クロロキンが組織中に高濃度で、しかも長期にわたつて存在することとの関係が示唆されている。ただ、病変のごく初期で自覚症状のまだない段階においては投与中止により病変が消失したとの報告もあるが、一方右の段階で投薬を中止しても病症が進行したとの報告もあり、投薬を中止すれば病症が改善する明確な段階を特定することはできない。いずれにしても、前記のとおりクロロキン網膜症の早期発見が非常に困難であり、かつ、明らかな他覚、自覚症状の現われた段階では既に病変は非可逆的であることから、定期的な眼検査を行つていても病変の進行を必ずしも阻止できるとは限らない。

病変の進行の経過については、個人差が大きく、一定の傾向はないが、服用中止後六年以上を経過してから、視力低下、視野狭窄が急激に進んだ例も少なからず存することが報告されており、しばしば、服用中止後も長期にわたつて病状が進行するということができ、失明に至ることも稀ではない。

クロロキン網膜症に対する有効な治療法は未だ見出されていないが、これは、いつたん破壊された網膜の神経細胞の再生が困難であることに起因するものと考えられる。

第二原告ら患者のクロロキン製剤服用と網膜症罹患

一原告加藤奉榮(この節では、同原告を以下単に「原告」という。―関係被告=国、小野)

1  <証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

(一) 原告は、昭和一七年三月八日生れで、同三五年四月に大学に入学したが、同三六年二月に腎症状を生じて東京都立駒込病院に入院し、同年七月、岩手県立中央病院に転院し、同病院において慢性腎炎加味ネフローゼ症候群と診断され、同三八年一月にいつたん退院したが、その後、同四〇年七月二日から同年一〇月二一日まで(第二回)、同四二年一〇月から同四四年一一月まで(第三回)、同四七年四月から同年六月まで(第四回)、同五〇年九月から同五一年三月まで(第五回)それぞれ入院し、また、その間の入院していない期間は同病院に通院して、同一症病名のもとで治療を受けていた。第五回入院から退院して以後は、依然通院して服薬を続け現在に至つているが、病状は進行していない。

そして、その間、昭和四〇年一〇月ごろから同四二年八月ごろまでの間、右疾患の治療のため、岩手県立中央病院において、キドラ一日六錠ずつの投与を受けて、服用した(総服用量約四〇〇〇錠)。

(二) 原告は、もとから軽度の近眼であつたほかは、格別の眼障害はなかつたが、昭和四二年五月ごろ、眼の前にいつも綿ぼこりがあるような感じを覚え、以後急速に視野が狭くなるように感じられ、活字も見えにくくなつたので、同年八月一七日、岩手県立中央病院眼科遊佐満医師の診断を受けたところ、両眼とも眼底が混濁し、波状の反射の増強がみられ、視力は裸眼で右眼〇・〇一、左眼〇・〇二いずれも矯正不能で、クロロキン網膜症と診断された。その後、同眼科で治療を受けた(前記第三回入院は眼科治療を兼ねたものである。)が、症状は進行し、昭和四三年ごろには歩行にも困難を覚えるようになり、同四五年八月一九日の診断では、視力は左右とも裸眼〇・〇一、矯正不能で、両眼とも眼底は全体的に混濁し、とくに黄斑部に所見が高度であるとされ、同五三年九月一三日の診断では、視力は右眼〇、左眼は眼前手動弁、いずれも矯正不能で、両眼とも眼底は混濁し、色素斑もあり、乳頭は萎縮状、血管も狭小であり、退行変性所見が高度であるとされ、更に、同五八年一〇月一四日には、左眼も光神、それも確定的なものではなく、視野測定は不能であると診断された。また、原告は、その間の同五三年一二月一九日、千葉大学医学部附属病院窪田靖夫医師から、クロロキン網膜症の診断を受けた。現在、原告は、物の形は全く分らず、僅かに左眼下方の狭い部分に明暗を感じるのみで、概ね失明といい得る状態である。なお、原告は、同四五年一〇月一九日、クロロキン網膜症による両眼の障害を理由に、身体障害者手帳一級の交付を受けた。

2  右1に認定した眼の症状、病態、その進行経過とキドラ服用の事実によれば、原告は、キドラによりクロロキン網膜症に罹患したものと認めるのが相当である。原告に自覚症状が生じてからの視力喪失状況が急激であつたことも、前記認定のようなクロロキン網膜症の症状の多様性、個人差を考えれば、同症であることを疑う理由とはならず、他にこの認定を左右する資料は見当らない。

二原告鈴木征二(この節では、同原告を以下単に「原告」という。関係被告=国、住友、稲畑、小野、科研)

1  <証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 原告は、昭和一三年四月八日生れで、全く健康であつたが、同三九年一〇月ごろ、疲労感を覚え、同月二六日から同年一二月三〇日まで、腎系の症患(その病名については後述する。)のため、昭和病院に入院して、同病院西脇圭之助医師による検査、投薬を受け、更に同病院に通院した後、同医師の紹介で、同四〇年三月初めごろから、名古屋大学医学部附属病院泌尿器科において福島医師の診療を受け、同医師は、同月二〇日、慢性腎盂腎炎と診断し、抗生物質シグママイシンを投与するようにとの西脇医師宛返書を原告に託した。原告は、その後引続き昭和病院に通院していたが、同年八月二五日から九月一四日まで、名古屋大学医学部附属病院分院内科に通院し、小林快三医師から慢性腎炎との診断を受け、また、右通院期間中、同分院において、CQC一日六錠ずつ(総量一二六錠)の投与を受けて、服用した。原告は、その後、短期間昭和病院に通院した後、同年九月二五日から同四七年二月七日まで、野村内科皮膚科医院に通院して、医師野村昭典の診療を受け、その間概ね引続いてキドラ、キニロンを併用して相当多量の服薬をした。その後治療を中止していたが、昭和五四年六月二三日から、佐藤外科病院において、慢性腎不全との診断のもとに、週三回人工透析治療を受けつつ、現在に至つている。

(二) 原告は、昭和四二年五月ごろ、視力が落ち視野が狭くなるのを自覚し始め、同四四年七月、説田眼科医院において、中心性網膜症との診断を受け、そのころから輪状暗点を生じ、以後、同四六年ごろまで、同医院と杉田病院に通院したが、治療の方法がなく、治癒の見込がないと言われて、その後通院をとりやめていた。しかし、原告は、昭和五三年一〇月九日、説田眼科医院久納幸雄医師から、両眼底所見よりクロロキン網膜症と診断する旨の診断書の交付を受け、同年一二月一九日、千葉大学医学部附属病院窪田靖夫医師からも、クロロキン内服の既往症と定型的な眼底所見等からもクロロキン網膜症と診断する旨の診断書の交付を受け、更に同五八年四月二八日、名古屋大学医学部附属病院青山昭夫医師からも眼底所見等に基づき同症の診断を受けた。

原告の視力は、昭和四一年ごろには裸眼一・二ぐらいあつたが、同四二年五月当時右一・〇、左〇・九程度であり、その後の約一二年間の経過についての記録はないものの、同四六年ごろには新聞が辛うじて読める程度になり、同五四年六月九日には、右裸眼〇・三、左同〇・〇一、いずれも矯正不能であり、視野は、右眼が中心約二度から二〇度の輪状暗点と上方約五〇度、左方約五〇度、下方約六〇度、右方約八〇度から外側の周辺視野狭窄とを示し、左眼が約一〇度の中心暗点と右眼にほぼ同様の周辺狭窄とを示していた。昭和五七年一二月一四日には、視力が裸眼で右眼〇・二、左眼三〇センチメートル指数弁で、左眼の中心暗点が一五ないし三〇度に拡大し、同五八年四月二八日には、視力が右眼四〇センチメートル手動弁、左眼が一〇センチメートル手動弁で、視野は右眼が痕跡程度、左眼が測定不能とされ、現在左右側方のごく少部分がぼんやりと見える程度である。

2  ところで、原告本人の供述によれば、甲あ第二号証の三・四は、原告が医師間の検査結果・診断の伝達の書面(患者紹介・診断依頼に対する返事等)を書写したメモを再度転与したものであるというのである。その内容は、被告住友、同稲畑が解読しているところに照らしても、英語、独語による専門医学用語を用いて、医学的に筋の通つた記載となつており、医学についての素人が勝手に創作し得るようなものではないとみられるので、原告が医師作成の書面を正しく転写したものと認められる。ところで、右書面によれば、昭和四〇年三月二〇日、名古屋大学医学部附属病院泌尿器科福島医師が下した診断は、前記のとおり慢性腎盂腎炎であり、そのために同医師は抗生物質の投与を勧めたものと認められる。そして、慢性腎盂腎炎は、細菌感染による腎実質、腎盂等の炎症性疾患であり、慢性腎炎とは病変部位、病相、治療方法等を全く異にするものであり、これを慢性腎炎と同一のものとして同様の治療を施すということは、通常考えられないことであるから、福島医師から右診断の伝達を受けた昭和病院の西脇医師が、その後同年四月ごろから同年八月二四日まで、慢性腎炎としてCQCを原告に投与したという原告本人の供述及び同旨の甲あ第二号証の二九の記載部分は、採用することができない(甲あ第二号証の二三の記載も、当時昭和病院ではCQCを購入していたので、慢性腎炎であつたとすればこれを使用していた可能性があるというにすぎない。)。しかし、他方、名古屋大学医学部附属病院分院小林快三医師及び野村内科皮膚科医院野村昭典医師の慢性腎炎との診断を疑うべく根拠もなく(とくに、甲あ第二号証の三五によれば、小林医師は、腎炎の研究に携わり、専門的知識を有するものと認められる。)。腎盂腎炎と慢性腎炎とは併存し得ないものではないから、福島医師が診察した当時、糸球体腎炎も既に存在していたか又はその後に症状が明瞭になつたという可能性もあり、小林医師の診断後は、もつぱら慢性腎炎の治療がなされるようになつたものと推測される。そして、このような慢性疾患の治療を引き継いだ他の医師も、特段の症状の変化がない限り、同種の薬剤を投与することが少なくないものと推測されるから、ごく短期間の通院であつた昭和病院はともかくとして、その後野村内科皮膚科医院に通院し始めた昭和四〇年九月二五日から同四七年二月七日ごろまでの間引続きキニロン及びキドラの投与を受けた旨の甲あ第二号証の二九の記載及び原告本人尋問の結果は、首肯することができないものではなく、前掲甲あ第二号証の二四・二五の記載も、カルテに基づき投薬を証明し得るのは、同四六年一月三〇日から同四七年二月七日までの内の八か月、一日の投与量キドラ、キニロン六錠(それが両剤各六錠か合計六錠かは明らかでない。)であるが、野村医師の記憶では前記治療期間中キドラ、キニロンを同時投薬していたというものであるから、右本人尋問の結果に沿うものである。したがつて、服薬の総量は確定するに由ないけれども、前記のとおり、原告は、野村内科皮膚科医院に通院した間概ね引続きキドラ、キニロンの併用投与を受け、相当多量の服薬をしたものと認めるべきである。

3  他方、原告の眼障害については、当初の説田眼科医院における診断は、中心性網膜症というものであるが、そう診断した根拠は明らかでなく、原告本人尋問の結果によれば、当時、原告は、同医院医師にクロロキン剤服用の事実を告げていなかつたことが認められ、他方、その後は、同医院医師からクロロキン網膜症の診断を受けており、また、窪田医師らの診断も、所見内容を具体的に示してはいないが、クロロキン剤服用歴のみでなく、眼底所見がクロロキン網膜症に該当することを確認したうえでの診断であることが明らかであるから、その診断が正当であることを疑う理由はない。

したがつて、原告は、かなり多量のクロロキン製剤であるCQC、キニロン、キドラの服用によりクロロキン網膜症に罹患したものと認めるのが相当であり、右に言及したもののほかには、右認定を左右するに足る証拠はない。

三原告所ひさゑ(この節では、同原告を以下単に「原告」という。―関係被告=国、吉富、武田)

1  <証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

(一) 原告は、昭和一五年一月一三日生れで、短期大学在学中の同三三年七月、急性腎炎に罹患し、同年一〇月ごろから一二月ごろまでと、同三四年一二月ごろから同三五年五月一五日まで、名古屋大学医学部附属病院に入院し(入院時の診断病名は明示されていないが、急性腎炎から移行した慢性腎炎であつたと推定される。)、以後同三八年秋ごろまで、同病院に通院した。その間の同病院入院中の昭和三五年三月一三日から同年五月一二日までと退院後の同月一八日から(病院の処方上は同月一六日に投与されたが、原告が入手したのは一八日)同年一二月一〇日まで、レゾヒン一日一錠(二五〇ミリグラム)の投与を受けて服用し(そこまでの総投与量は二六九錠)、その後も、同三八年二月ごろまでは、同病院から投薬を受け、あるいは市中の薬局から購入して、概ね継続して一日当たり同量のレゾヒンを服用した。なお、原告は、腎症状の軽快もあつて、昭和三八年一一月ごろからは治療を止め、同四一年三月に結婚し、同四三年四月一六日、長男を出産したが、その後腎炎が悪化し、同五一年三月一〇日から、週三回ずつの人工透析治療を受けて、今日に至つている。

(二) 原告は、従前眼は正常であつたが、昭和三七年春ごろ、視野狭窄等の眼の異常を覚え、同年五月、窪田眼科で受診してドーナツ型の暗点があると言われ、同年六月二三日、名古屋大学医学部附属病院眼科で受診し、視力は右眼一・二、左眼〇・七であるが矯正不能、両眼後極部に輪状暗点が認められるとの診断を受け、以後岐阜大学医学部附属病院眼科に通院したが、症状は進行し、同四六年一月二九日、岐阜県立岐阜病院において、加藤融医師の診察を受け、視力は右眼〇・四、左眼手動弁(各矯正不能)、眼底所見は乳頭蒼白、血管狭小、黄斑部を中心とする混濁が見られ、視野は右眼に中心二度の明点を残した輪状暗点が形成され、暗順応不良と認められ、両眼視神経炎(中毒性)と診断された。原告は、昭和五三年一二月一九日、名古屋大学医学部附属病院眼科における診察において、視力は両眼とも眼前手動弁、視野は右眼が中心部に僅かな残存視野があるが四〇ないし六〇度の絶対暗点、左眼は二〇ないし四〇度の中心暗点が形成され、眼底所見は後極部に高度の網膜変性、血管の狭細、神経乳頭の蒼白化などがみられ、ERGは消失した等の所見のもとに、クロロキン網膜症との診断を受けた。その後、昭和五五年八月には、同病院での検査において、視野が右眼約六〇度、左眼約四〇ないし五〇度の中心暗点となり、以後その状態で今日に至つている。

2  右認定事実によれば、原告は、レゾヒンを相当長期間大量に服用し、そのためクロロキン網膜症に罹患したものと認められる。

四亡平木米吉(以下「米吉」という。―関係被告=国、吉富、武田)

1  <証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

(一) 米吉は、昭和五年九月二五日生れで、同三八年一二月二一日から、高血圧治療のためとして椎名病院に入院していたが、入院中、慢性腎炎と診断され、同三九年二月四日に退院した後も、同四四年ごろまで通院し、右入・通院中の同三九年一月四日から同四三年九月三〇日まで、レゾヒン(二五〇ミリグラム含有)一日三錠の投与を受けて、服用した(総量五一九六錠)。なお、米吉は、同四四年ごろ以降は腎炎は進行せず、治療を中断しており、同四七年一〇月には原告平木葉子と結婚(再婚)し、同四八年一二月二七日には原告美絵が出生したが、やがて、米吉は、心臓疾患により同五一年ごろから治療を受けるようになり、同五四年七月一九日、発作性頻拍症により死亡した(腎炎と心疾患との関係の有無は明らかでない。)。

(二) 米吉は、従前近視で眼鏡を使用していたが、昭和四三年末ごろから視力障害を覚え、同四四年一月ごろ、慈恵会医科大学附属病院で検査を受けたことがあり、その後更に症状が進んで、同五〇年二月二七日から、井上眼科病院井上治郎医師の診療を受けるようになつて、クロロキン網膜症の診断を受け、同五三年五月一九日、同症により身体障害者手帳一種一級の交付を受けた。視力等検査の状況としては、昭和五〇年二月二七日には、視力が左右とも裸眼〇・〇一、矯正〇・二、視野は左右ともに概ね下方に五度から二〇ないし三〇度の幅をもつた上向三か月型島状視野のみが残存し、眼底所見は、視神経乳頭は黄白色、黄斑部ブルズ・アイ様、網膜色素変性がみられるというものであつた。その後、同年六月から昭和五二年五月までは、視力は裸眼の測定はなく、矯正で概ね右眼〇・三、左眼〇・四で、眼底所見は変らず、視野は漸次縮小し、同年一二月二〇日には、視力(矯正)は右眼〇・一、左眼〇・二となり、眼底所見は増悪し、同五三年六月二七日には、視力は右に同じく、視野は左右とも中心約五度の円型視野と、右眼は下方に五ないし一〇度の島状視野、左眼は概ね下方二〇ないし三〇度の所に幅五ないし一〇度の弧状視野とが残存し、同五四年三月二六日には、視力(矯正)は右眼〇・一、左眼〇・〇六で、視野は僅かな中心視野と下方の狭い弧状視野のみとなつた。そのころの米吉は、明るい所で、人の顔の輪郭がぼんやりと見える程度になつていた。

2  右認定事実によれば、視野欠損の状況、経過は、クロロキン網膜症の典型とやや異なる感はあるが、個人差と測定条件の相違等から説明され得るものと考えられ、レゾヒン服用の事実と、視力の変化、網膜の状況等の所見とこれに基づく井上医師の診断によれば、米吉は、レゾヒンの服用によりクロロキン網膜症に罹患したものと認めるのが相当である。

五原告三田健雄(この節では、同原告を以下単に「原告」という。―関係被告=国、科研)

1  <証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

(一) 原告は、昭和一一年三月二日生れで、同四六年一二月、江渕医院江渕浩美医師により慢性腎炎と診断され、同月一七日から同四八年四月六日までの間、同医師からCQC一日九錠ずつの投与を受け(総投与量四一三日分、三七一七錠)、同年六月二五日ごろまでに、その内三錠を残して全部を服用した。なお、腎炎は、その後蛋白尿も出なくなり、悪化することなく現在に至つている。

(二) 原告は、元来近視で矯正視力〇・六か〇・七ぐらいであつたが、昭和四八年夏ごろから、飛蚊、視野狭窄を覚え、同年九月、帝京大学医学部附属病院眼科で受診したところ、視力は右裸眼〇・〇二(矯正〇・四)、左裸眼〇・〇一(矯正〇・三)で、視野は右眼に半径約八度、左眼に同約一〇度の中心暗点があり、網膜周辺部の変性が認められるとの検査結果となり、薬による網膜変性で、治療の方法も治癒の見込みもない旨を告げられた。同五五年二月二八日、同病院における検査では、視力は左右とも光覚(矯正不能)、眼底所見は変性が黄斑部に及び、網膜中心動脈狭小と認められ、同年四月二一日、両網脉絡膜変性(両光覚弁)との障害名で、身体障害者手帳一級の交付を受け、同年九月二二日、同病院有本秀樹医師から、クロロキン網膜症との診断を受けた。昭和五六年一〇月二一日における眼底所見は、両眼視神経萎縮、網膜血管狭細、黄斑部変性が認められ、ERGも消失し、現在は、光覚もごく弱く、失明状態にある。

2  右認定事実によれば、原告は、CQCの服用により、クロロキン網膜症に罹患したことが明らかというべきである。

六原告安田ミキ(この節では、同原告を以下単に「原告」という。―関係被告=国、科研)

1  <証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

(一) 原告は、大正一〇年九月一日生れで、昭和四一年一月ごろから皮膚に発疹が生じ、同年九月、東京大学医学部附属病院皮膚科西山茂夫医師から全身性エリテマトーデスとの診断を受け、以後同科に通院して、次の期間・数量、CQCの投薬を受けて、その内数錠を残して全部を服用した。

昭和四一年九月二二日から同年一一月一三日まで 一日一五錠

同年一一月一四日から同四二年一月一一日まで 一日一二錠

同年一月一二日から同月二六日まで 一日一五錠

以後休止

同年三月二三日から同年六月二〇日まで 一日一五錠

同年六月二一日から同年一二月二〇日まで 一日一二錠

以後休止

同四三年二月一日から同年四月二四日まで 一日一二錠

なお、右の最後のCQC投与の終了後も引続き昭和五〇年一一月ごろまで、同病院においてデカドロンその他の薬剤が投与されたが、その後は、原告は、受診せず、発疹が冬に出るが、市販のステロイド軟膏を塗る程度で治まつており、原疾患の悪化はみられない。

(二) 原告は、従前視力〇・七ないし〇・八ぐらいの軽度の近視であつたが、昭和四三年一月ごろから、視力が落ちまぶしさを覚え、東京大学附属病院眼科で色覚検査を受け、それが契機で同病院皮膚科でのCQCの投薬が中止された。同四八年二月二三日、北里大学病院眼科で検査を受けたところ、視力は裸眼で左右とも〇・〇二(矯正、右〇・四、左〇・六)であり、同五〇年一〇月には、同病院において、視力は裸眼で左右とも〇・〇一(矯正、右〇・二、左〇・三)、眼底所見は黄斑部に変性が認められ、左右とも中心より少し外側方に島状の暗点が生じていた。以後の視力の経過は、昭和五一年三月一八日には、裸眼は測定されず、矯正視力は右眼〇・二、左眼〇・三であり、同五二年八月三〇日には同右眼〇・〇七、左眼〇・〇九と低下し、以後しばらく同程度の視力が維持されたが、同五八年九月七日には、矯正視力は両方とも〇・〇五となつた。また、視野については、昭和五七年七月五日には、右眼が約一〇度、左眼が約二〇度の中心暗点が存し、同五八年九月七日には、右眼が約一五度から四〇度にかけて、左眼が約一二度から三二度にかけての中心暗点となり、また、眼底所見では、右の最後の時点で、黄斑部に限局した萎縮巣があつた。そして、原告は、その間、同五六年二月九日、北里大学病院眼科石川哲、福田敏雅両医師から、「(両)クロロキン網膜症(疑い)」との病名の診断書の交付を受け、同五八年三月三〇日付右両医師名の統一診断書、同年九月七日付同病院難波龍人医師の診断書も、同一病名で出されている。現在、原告は、物を見ても白黒が入り交つて形が定かでなく、人の顔も分らない状態である。

2  右認定事実によれば、原告は、CQCの服用によりクロロキン網膜症に罹患したものと認めるのが相当である。前記各診断書における病名に同症の「疑い」と記載されているのは、何らかの理由で断定を避けたものと窺われるが、CQC服用歴、眼の症状、所見に照らして、他の疾患を疑う根拠は認められず、ほぼ確実にクロロキン網膜症と認定することができるものと考えられる。

第三クロロキン製剤による網膜障害についての医学的知見

一外国における医学的知見

1  <証拠>によれば、次の事実が認められる。

(一)(1) クロロキン製剤を慢性疾患の治療のため長期大量に投与した患者における眼症状の発生の報告ないしクロロキンによる眼障害発生の疑いについての研究報告は、一九四八年に二例があり、一九五七年ごろからは相次いで発病の報告と研究が出され、そのころには、既に少なくとも大量、長期投与が角膜障害を起こすことが確認されていた。その内で、キャンビアギー(一九五七年、甲き第四号証)は、網膜病変の存在を報告した(その症例は、後日の病理学的研究でクロロキン網膜症であることが確認された。)。

(2) 一九五九年に、シュテンベルグらは、前年の学会についての報告(甲き第八号証)において、クロロキンを投与した患者に両眼の黄斑の変性があり、中央視の能力を減少させている事実を報告し、網膜の病変と失明がまず永久的らしい旨を述べた。

(3) 同年、ホッブズとカルナンは、三〇名の患者の観察により、クロロキン製剤の大量投与を受けた患者に高い割合で角膜変化が生じたことを報告するとともに、網膜変性も予見され、その一部は重篤な永久的障害を起こすことが示唆される、とした。

(4) 同年、ホッブズ、ソルズビー、フリードマン「クロロキン治療による網膜症」(ランセット誌同年一〇月号収載。甲き第一〇号証。以下「ホッブズら論文」という。)は、明確にクロロキンによる網膜症の症例を報告した論文として、とくに注目すべきものである。すなわち、右論文は、ホッブズら自身が観察したところに基づき、エリテマトーデス、リュウマチ様関節炎のため約三年間クロロキン化合物を一日一〇〇ないし六〇〇ミリグラムずつ投与した三症例に眼障害が生じた状況を具体的に述べ、他の学会で検討された一症例(事実上失明)とあわせて、その重要な共通の特徴は、黄斑部障害、網膜血管の狭窄化とそれが引き起こす暗点及び視野欠損であるとし、この障害が永久的なものかどうかは分からないが、今日までの経過は自然寛解はありそうもないことを示唆していること、その重症度は使用量とある程度の関連性を示していること、薬剤中止後症状の改善は今のところなかつたが、障害の進行は止つたこと、それゆえ、これら変性が基礎疾患の経過に起因することはありそうもなく、特にこれが治療中止により著明に再発していることからなおさらであり、この状態を薬剤投与の結果であるとする方が妥当だと考えること、侵されるのはごくわずかの症例にすぎないことから、特異体質がキニーネの場合と同様、クロロキン等の合成抗マラリヤ剤による網膜反応に一役買つているかもしれないこと、シュテンベルグらによつて報告された症例(前記(2))は同じ型のものと考えられ、ゴールドマンら(一九五七年)により報告された長期クロロキン治療後の重篤な視野欠損も、同じような機序を示唆するものであること、などを述べたうえ、更に、要旨次のとおり警告している。

以上の根拠により、ここに述べた網膜症は、クロロキン化合物により惹起されたものである。クロロキンによつて発生することが知られている角膜変化は、他の合成抗マラリア剤でも起こるので、これらはまた関節炎やエリテマトーデスの治療に必要量投与されると、いずれにせよ網膜変性を惹起する可能性がある。これに代わる毒性の少ないものがないので、抗マラリア剤によるこれら疾患の治療が中止されることはありそうもない。にもかかわらずこのような治療は不必要に続けないことが賢明であるようである。使用期間を短くし、定期的な眼科検査を行つてコントロールすべきである。

(5) 同年、フルドは、ホッブズら論文の読後に、ランセット誌へ寄稿し(甲き第一一号証)、数年以上観察を続け、そして一八か月以上の長期間、大量のクロロキンを与えられた一〇〇名以上の患者の内、ホッブズらによつて述べられたものに匹敵する眼に重大な併発症をもつ一例を経験した旨の症例報告をした。その要旨は、次のとおりである。

二年半にわたり硫酸クロロキンの投与を受けた者の両眼に乳頭の蒼白と中等度の動脈狭窄(部分的な視神経の萎縮)が確認された。両黄斑部にはつきりとした円板状の変性があり、両眼に中心性絶対暗点があつた。クロロキン中止後六か月になつても眼はよくならず、本が読めないし、対象物のそばでないと何もはつきり見ることができない、このようなおそらくは不可逆的な眼の変化は、クロロキン治療による直接の結果であることを少しも疑わない。

リュウマチ様関節炎やエリテマトーデス等のクロロキン治療は、むやみに長引くべきでないというホッブズと共同研究者らの意見に完全に同意する。これらは一八か月間の治療を上限と考える。活動性リウマチ関節炎のほとんどの患者がクロロキンから受けた利益は、これまで報告された副作用に疑いなく勝つているが、長期間の抗マラリア剤治療を受けたすべての患者を監視することが望ましく思われる。

(二) 一九六一年に、ホッブズ(甲き第一二号証)は、前記(一)(4)の論文に取上げた症例のその後を確認したうえ、クロロキンによる網膜障害は、角膜変化よりも起きる頻度は低いが、変化が検出された段階では、不可逆的であり、有効な治療はないとして、長期投与に対する警告をした。以後、同年と翌一九六二年の間に、一五篇の論文(甲き第一三ないし第二七号証)が、それぞれクロロキン製剤投薬患者に網膜症が発生した例を報告し、ホッブズら論文を引用し、あるいはそこに引かれた症例と対比しつつ、血管狭窄、暗点・視野欠損、黄斑部変性等、ホッブズら論文の指摘する特徴的症状に合致する症状を挙げている。そして、これら論文は、いずれもクロロキンにより網膜症が発生した蓋然性を疑わず、かつ、それが不可逆的であり、進行阻止の方法がないことについて言及し、眼科的検査の必要を説き、長期投与に対して警告するものであつた。既にこの時期において、クロロキンと網膜症との因果関係を認めることに批判的であつた見解は見当らない。

更に、一九六三年、一九六四年には、クロロキン網膜症に関する多数の論文が発表されたが、ほとんどが、クロロキンと網膜症との間に因果関係が存在することを当然の前提として、その医学的知見の要約等に関する報告、早期発見方法の研究、同症の頻度・期間と投与量との関係に関する文献、同症の発生機序に関する研究、同症の病理学的所見、クロロキンの胎児に及ぼす影響に関する研究等を公けにしたものであり、動物実験による網膜症の発現に成功したとの報告もなされた。

(三)(1) NNDは、アメリカで入手できる単味の薬品のうち、アメリカ医師会が評価したものを収載した権威ある最新情報の提供を狙いとし、アメリカで発売されている薬品が同国でどのように評価されているかを知ることができる書であり、製薬会社が新薬開発の過程で参照すべき情報資料の一つであつて、製薬会社の安全性担当者が常に繁用し、大学病院、臨床研修指定病院で常備すべき書であるばかりでなく、一般病院でも常備するのが望ましいとされているものである。わが国の厚生省は、遅くとも昭和三七年以後、NNDを各国の薬局方とともに、日本薬局方と並ぶ公的資料と考え、その旨を関係業者に公表してきた。

NNDの一九四八年版から一九六〇年版までには、リン酸クロロキンの副作用として、視力障害、霧視、ピント合わせの困難が観察される場合があるけれども、重大ではなく、可逆性である旨が記載されていたが、一九六一年版及び一九六二年版には、角膜の病変について述べるほか、「何人かの患者では、長期療法が網膜細動脈の狭細化、網膜浮腫、黄斑部変性、暗点視、視野欠損で特徴づけられる、不可逆的らしい網膜損傷とも関係づけられている。白血球減少症、重篤な皮膚発疹、角膜または網膜の病変は、投薬中止の指標である。」旨記載され、そして一九六四年版にも同旨の記載がある。なお、NNDの一九六五年版は、網膜変化と視覚障害は通常不可逆的で、治療中止後に進行することもあり、失明に至るかも知れないとし、大量長期使用に慎重であることを要求している。

(2) PDRは、いわばアメリカの効能書集で、臨床医に十分な新薬情報を得させることを目的とし、したがつて、NND同様、製薬会社が新薬開発の過程で参照すべきことはもとより、大学病院等のみでなく、すべての小病院、診療所にも常備すべきであるといわれている。後記の厚生省薬務局長が昭和四四年一二月二三日通知を発する際に参考にした資料の内にも後記SED(一九六四年版)とともに、PDR(一九六八年、一九六九年各版)が含まれていた。

リン酸クロロキン(アラーレン)につき、PDRの一九四八年版から一九五五年版までには特に副作用の記載はなく、一九五八年版で、視力障害等の副作用が記載されているが、これは投与中止あるいは減量によりしばしば一過性であるか軽減するとされていた。一九六一年版には、トリテイス錠(クロロキン一二五ミリグラム含有)につき、「網膜症の徴候に備えて定期的な眼検査をすべきである。」等の注意が記載された。そして、一九六三年版においては、リン酸クロロキンの副作用につき、角膜変化等のほか、「夜盲症の症状と暗点視野を伴う網膜変化(血管狭細、黄斑部病変、乳頭の蒼白、色素沈着)はまれにしか起こらないが、多くは不可逆的であると報告されている。数例では、網膜変化なしで視野欠損が出現した。長期治療が予想されるときは、開始時及び定期的に眼検査(細隙灯、眼底、視野)をすることが勧められる。」と記載されるに至り、以後の版では、網膜症の病像が更に具体的になり、また予防の眼検査の期間、投薬中止の指標等がより詳細に記載されるようになつた。

(3) SEDは、アメリカ、イギリス、ヨーロッパ等の第一次刊行物を基に作られ、図書作成上オランダ保健省の協力を得て一九五五年以降発行されている書であり、NND、PDR同様、副作用等に関し、製薬会社が新薬開発の過程で参照すべきことはもとより、大学病院、臨床研修指定病院には常備し、一般病院、小病院、診療所にも常備することが望ましいとされている書である。その一九六四年版が厚生省薬務局長通知に際し参考資料とされたことは、前記のとおりである。

SEDの一九六〇年版は、クロロキン、硫酸塩、二リン酸クロロキンの眼の項に、霧視調節の速度低下等の可逆的障害について触れたうえ、「エリテマトーデスのためにクロロキンで(継続して数年)治療していた三二才の女性において、恐らくクロロキンによる(確かではないが)両眼性の黄斑部変性となつた。別の報告では、黄斑部の病変や狭細化した血管によつて起こされた暗点視と視野欠損を記述している。一人の患者では網膜色素沈着が進行した。薬を中止しても現在までのところ、これに引き続いて改善されるということはないが、病変は進展を中止した。」と記述し、ホッブズら論文等を引用した。

そして、一九六三年版では、前記(二)前段の各文献に発表された症例を詳細に紹介し、中心暗点、傍中心暗点、輪状暗点による視野欠損、中心視力の喪失、黄斑部変性等の症状をあげ、完全な視力喪失を伴う永続性の網膜変化も報告されている旨を述べ「全身性疾患のためにクロロキンを処方する医師は、永久的な網膜変化を引き起こす可能性があることを、治療上の利益と比較考量しなければならない。」として、定期的眼検査の必要を述べている。

(四) そのほか、ハンドブック・オブ・ポイゾニングの第四版(一九六三年)は、クロロキンが黄斑部変性を含む網膜障害を引き起こす旨を、同第五版(一九六六年)が、網膜の障害は普通不可逆的である旨をそれぞれ記述し、グットマン・ギルマン薬理書第三版(一九六五年)は、マラリア以外の疾患にクロロキンを長期投与する場合には、頻発ではないが、網膜症が起きることが知られているとした。また、ケミカル・アブストラクト一九六〇年八月二五日号は、ドイツのマルクスらの症例報告として、リウマチの治療に抗マラリア剤(クロロキン等)を長期に用いた患者に、これら抗マラリア剤あるいはそれらの代謝物質が眼組織に沈着することが証拠づけられた旨を記載し、ホッブズら論文を引用した。

2  右1に認定した事実によれば、次のとおりいうことができる。

クロロキン製剤を、マラリアの抑制又は治療に用いられる量以上に、長期大量に投与するときは、眼障害を惹き起こすことが、一九四八年から既に懸念されており、一九五七年には、クロロキンが少なくとも角膜障害を惹き起こすことが確認されるとともに、網膜病変の発生も報告され、一九五九年には、網膜障害の発生が相次いで報告された。そのうちでとくに重要なのは、ホッブズら論文であつて、同論文は、著者自身が観察した三症例を一挙に紹介したというばかりでなく、その症状を検討し要約して、クロロキン網膜症の病像を明らかにし、障害が失明にも至ることのある重篤なものであり、不可逆性のものであることを述べ、かつ、クロロキンと網膜症との医学的因果関係をほとんど疑い得ない程度に証明したと評価し得るものである。そして、同年に、フルドが、一症例を加える報告をし、ホッブズら論文を全面的に支持した。そして、これら論文は、クロロキンによる長期治療について警告をし、かつ、定期的眼検査等によるコントロールの必要性をも述べたのである。ランセット誌上に発表された右ホッブズら論文及びフルドの論文は、医学、薬学に携わる者、クロロキン製剤を製造、販売する者にとつては、十分に留意すべきものであつたことが明らかである。

二わが国における医学的知見

<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

1  昭和三七年九月の東京眼科集談会において、中野彊(慶應大学)は、慢性円板状エリテマトーデスの治療のため、レゾヒンを約六年間内服した患者の両眼眼底に動脈の狭細、黄斑部に暗赤色の混濁とその周囲に色素沈着があり、視野は両眼とも明瞭な輪状暗点、暗順応の障害を認めたと報告し、本症例は、クロロキン剤の長期内服による中毒症状と考えられ、従来報告されているクロロキン網膜症の症例と思われると述べ、佐藤清祐(東京大学)も、同じ疾患のためレゾヒン平均三〇〇ミリグラムの内服を続けていた患者にみられた網膜症(眼底症状として乳頭蒼白、黄斑部浮腫、網膜全体の汚ない灰白色変性、網膜細動脈の狭細が特有であり、視野では輪状暗点と周辺狭窄が認められた。)を報告した。

そして、中野らは、右症例についての論文を「眼科臨床医報」(甲か第一号証)に発表し、ホッブズら論文等の外国文献をも引用したうえ、エリテマトーデスにおいては、このような両側黄斑部の変性所見を主とした眼底変化は、従来報告されていないようであり、また、眼底所見、視野及び暗順応検査所見等から、本症例はクロロキン内服によつて起きたものと考えられ、自覚的、他覚的に本症の改善をみた例はなく、多くは不可逆性変化と考えられており、クロロキンの長期連用にあたつては、本症の発生に十分注意すべきであるとした。これは、わが国における最初のクロロキン網膜症の症例報告であるが、既にこの時点において、外国文献等に基づき、クロロキンと網膜症との因果関係、同症の不可逆性等が肯定されていることが注目される。

2  昭和三八年に入つて、永田誠外三名の論文(甲か第四号証)が網膜変性の症例を紹介し、同年三月の「臨床眼科」(甲か第八号証)には、前年一一月開催の日本臨床眼科学会における大木寿子の報告が掲載された。大木は、レゾヒンで治療を受けた患者二名に網膜変性が認められたことを報告し、クロロキン長期投与で網膜黄斑部におそらく中毒性変化と思われる病巣を生じ、特異な視野の変化を来たすことが、ホッブズら論文その他多くの外国文献によつて報告され、わが国でも二、三の報告例を見ていること、網膜変化の主なものは、動脈狭細、浮腫、色素沈着等であるが、大木の二症例でも、ホッブズのとくに強調する網膜動脈狭細が認められたほか、黄斑部の変性様病巣及び色素沈着が著明であつたこと、網膜変化の初期症状としては、夜盲及び視力障害があるが、無症状に経過するものもあるので、とくに眼科的観察が必要であること等を述べた。

3  以後、同年から昭和四〇年にかけて、多くの研究論文、クロロキン網膜症の十数例にのぼる症例報告、同症に関する外国文献の紹介、予防・早期発見法の研究等が発表され、更に、同四一年以後にも同症に触れた論文等が多数出ている。

三クロロキン網膜症の知見の確立

クロロキン網膜症の知見の確立ということが、本件において論じられている。知見の確立ということが、クロロキン網膜症の発生機序・因果関係が合理的科学的に証明あるいは説明され、その定量的解析が得られ、それが学説・医療実務の大勢において認識・承認されることであるとするならば、今日においても、そのような科学的証明、分析が完成したものとは認められず、知見は未だ確立していないことになる。しかし、ここで必要なのは、製薬業者にとつて、同症についての情報の入手の可能性、すなわち、クロロキンから重篤かつ不可逆的な眼障害の発生する蓋然性があることを知り得る状態となり、かつ、それについての後記のような副作用情報を提供する義務を履行することが可能となる状況であり、その見地からいえば、一九五九(昭和三四)年には、ホッブズら論文及びフルドの報告により、クロロキン製剤を服用した患者に重篤な網膜障害が発生することが報告され、両者の因果関係もほとんど疑う余地のないほどに証明されるとともに、その病像の大要も明らかにされ、それらがランセットに掲載されて、わが国の製薬業者にとつても、遅くも翌昭和三五年一月ごろには、その情報を入手し、クロロキン製剤の長期連用によつて網膜障害の発生することを予見することが可能となつたものというべきであり、同三七年末には、わが国でも、クロロキン製剤により網膜障害が発生した実例が報告され、またその間外国の症例報告も蓄積されて、クロロキン網膜症の存在は明白な事実となつたものということができる。

第四クロロキン製剤の有効性と有用性

一クロロキン製剤の再評価

1  昭和三六年作成の第七改正日本薬局方第一部及び同四九年作成の第八改正日本薬局方第一部の各解説書に、リン酸クロロキンの適応症として腎炎が掲げられていないこと、厚生省の同五一年七月二三日付「医薬品再評価結果―その九」では、いかなるクロロキン製剤も、腎炎に対して「有効であることが実証されているもの」又は「有効であることが推定できるもの」とされていず、ただ、「急性、慢性腎炎(あるいは腎炎及び妊娠腎)による尿蛋白の改善」につき、有効性が認められるが、有効性と副作用とを対比して、副作用が上回る場合があるので、有用性は認められないとされていること、以上の事実は、当事者間に争いがない。

2  右再評価の経過及びその判定基準についてみるに、<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(一) 厚生大臣から医薬品の有効性、安全性に関する再検討につきかねて意見を求められていた薬効問題懇談会の昭和四六年七月七日付け答申に基づき、厚生大臣は、同四二年一〇月以降に承認された新医薬品を除くすべての医薬品(日本薬局方収載の医薬品も含む。)について、その有効性と安全性を再検討することとなつた(ただし、再検討の対象範囲に入る医薬品の内でも、関係業者が今後とも製造販売する意思があるものとして申請した医薬品に限つた。)。

(二) その再検討の具体的な方法は、専門調査会が膨大な数に上る再検討対象医薬品の個々について自ら前臨床試験又は臨床試験を実施しその有効性を検討することは不可能なため、当該医薬品の製造業者又は輸入販売業者に、まずその効能又は効果につき自己評価させ、有効と認める事項を申請させ、その申請の際に製造業者らが収集整理して提出した資料に基づいて専門調査会が再検討をするというものであつた。

かくして、クロロキン製剤については、厚生省薬務局長は昭和四七年七月一五日都道府県知事あてにその再評価のための資料を同年一〇年一五日までに関係業者に提出させるよう通知を発し、同五一年七月二三日付前記再評価結果において再検討申請にかかるクロロキン製剤(被告住友はキニロンにつき再検討の申請をしなかつた。)の再評価判定がなされた。

(三) その再評価判定は、およそ次のような基準でなされたものである。

(1) まず、各適応(効能または効果)ごとに、「有効性の判定基準」に基づいて、有効性の判定((a)有効であることが実証されたもの、(b)有効であることが推定できるもの、(c)有効と判定する根拠がないもの、の三段階の区分で判定)をし、次にその判定の結果と医薬品の有する副作用(種類、程度、頻度、発現予測の可能性、治療の奏効性を考慮する。)等を勘案して「総合評価判定(有用性の判定)基準」に基づいて有用性の判定((a)有用性の認められるもの、(b)適応の一部について有用性が認められるもの、(c)有用性を示す根拠がないもの、の三区分の判定)をする。

(2) 「有効性の判定基準」として、(a)有効であることが実証されたもの、とは、適切な計画と十分な管理による比較試験(それについて注意を払うべき事項も列挙されていた。)の結果により有効と判定されるもの、並びに従来知られている疾病の症状及び経過を明白かつ異論なく軽減又は短縮すると認められるものを意味し、(b)有効であることが推定されるもの、とは、計画管理などの点で不十分な比較試験であつても、有効とみなしうるもの(五分の四以上の委員の同意が得られたもの。)、従来知られている疾病の症状又は経過を軽減又は短縮すると推定されるもの(五分の四以上の同意が得られたもの。)及び有効であることが実証されたものとして全員の同意が得られなかつたが、なお三分の二以上の同意を得られたものを意味し、それ以外は、(c)有効と判定する根拠がないもの、とされた。

(3) 「総合評価判定(有用性の判定)基準」として、(a)有用性が認められるもの、とは、各適応症が「有効性の判定基準」の(a)又は(b)と判定され、かつ、有効性と副作用とを対比して有用(副作用が有効性を上回らない)と認められた場合を意味し、(b)適応の一部について有用性が認められるもの、とは、適応の幾つかが右有効性基準(a)又は(b)と判定され、かつ、有効性と副作用とを対比して有用と認められるが、残りの適応が右有効性基準(c)と判定された場合及び各適応が有効性基準(a)又は(b)と判定され、かつ、有効性と副作用とを対比して適応の一部が有用と認められる場合を意味し、(c)有用性を示す根拠のないもの、とは、各適応が右有効性基準により(c)と判定された場合、有効性と副作用とを対比して各適応が有用と認められない(副作用が有効性を上回る)場合及び右有用性の基準で(a)又は(b)であつてもその投与方法、含有量又は剤型から見て存在意義の認められない場合を意味していた。

3  右2掲記の各証拠によれば、本件各クロロキン製剤の種類別に見た右再評価結果の詳細は次のとおりであることが認められる。

(一) オロチン酸クロロキン(キドラ)

キドラの各適応中、慢性関節リウマチについては、有効であることが実証されたもの、慢性円板状エリテマトーデスについては、有効であることが推定できるもの、てんかんについては、有効と判定する根拠がないもの、とそれぞれ判定され、前二者の適応は有用性も認められたが、慢性腎炎及び妊娠腎については、その尿蛋白の改善につき有効性は認められるが、有効性と副作用を対比したとき、副作用が上回る場合があるので、有用性は認められないと判定された。すなわちキドラは、総合評価判定で、適応の一部について有用性が認められるものとされた。

ただし、用法及び用量につき、慢性関節リウマチに使用する場合「本剤は他の薬剤が無効な場合にのみ使用すること。オロチン酸クロロキンとして、通常成人初期一日六〇〇ミリグラムを標準として経口投与し、年令、症状により適宜増減する。効果が現れたら(通常一〜三か月後)減量し、維持量として一日二〇〇〜四〇〇ミリグラムを経口投与する。なお、投与開始後三〜六か月たつても効果が現れない場合は投与を中止すること。」と、また慢性円板状エリテマトーデスに使用する場合、「他の薬剤が無効な場合にのみ使用し、一〜二か月以内に効果が現れない場合には投与を中止すること。オロチン酸クロロキンとして、通常成人一日二〇〇〜六〇〇ミリグラムを二〜四回に分割経口投与する。なお、年令、症状により適宜増減するが、体重一キログラム当たり一日九ミリグラムを超えないことが望ましい。」と、それぞれ条件が付されている。

(二) リン酸クロロキン

適応中、マラリアと慢性関節リウマチについては、有効であることが実証されたもの、慢性円板状エリテマトーデスについては、有効であることが推定できるもの、てんかんについては、有効と判定する根拠がないものと判定され、前三者の適応は有用性も認められ(なお、慢性関節リウマチと慢性円板状エリテマトーデスの用法及び用量については、キドラと同一の条件)、急性腎炎、慢性腎炎及び妊娠腎による尿蛋白の改善並びにネフローゼに有効性は認められるが、副作用が上回る場合があるので、有用性は認められないと判定された。

(三) コンドロイチン酸クロロキン(CQC)

適応中、慢性関節リウマチについては、有効であることが実証されたもの、慢性円板状エリテマトーデスについては、有効であることが推定できるものと判定され、それぞれ有用性も認められた(ただし、その各用法及び用量はキドラと同じ条件)が、腎炎による尿蛋白の改善及びネフローゼについては、有効性は認められるものの、副作用が上回る場合があるので、有用性は認められないとされ、総合評価判定では、適応の一部について有用性が認められるものとされた。

二腎炎に対する有効性

弁論の全趣旨によれば、外国においては、腎炎をクロロキンの適応症として承認している例はなく、クロロキン製剤を腎炎に有効なものとして販売し、臨床上腎炎の治療薬として用いたのは、わが国のみであつたことが、明らかである。そこで、もつぱらわが国におけるこの点についての学説等を検討する。

1  <証拠>によれば、次の事実が認められる。

(一) わが国においてクロロキン製剤の腎炎に対する有効性を肯定した最初の公式報告は、昭和三三年六月の内科学会近畿地方会における藤田嘉一、辻昇三外神戸医科大学第二内科のスタッフの報告であり、それは、同年一一月の日本内科学会雑誌に発表され、また、これを辻昇三らは、同年一二月、「腎災の薬物療法―特にクロロキン療法について」と題する論文(総合臨床第七巻第一二号、乙B第五六号証)とした。右学会報告が被告吉富においてレゾヒンの適応症に慢性腎炎を加える契機となつたものであり、また、辻昇三の示唆、論文が被告小野のキドラ開発、同科研のCQC開発の契機となつたものであることは、右被告らの主張するところである。

右藤井らの報告は、クロロキンを(1)急性腎炎五例に用いて、二、三週間後に効果が発現し、蛋白尿、尿沈渣、その他の症状が著明に改善され、内一名はとくに腎機能の改善をみ、(2)慢性腎炎三例に用いて、いずれも蛋白尿に効果が現れ、内一例にはとくに著効があつたが、尿沈渣には三例とも著効はみられず、(3)ネフローゼ腎炎二例に用いて、内一例は尿所見が著明に改善されたが、他の一例は変化をみなかつたというのである。

(二) 辻昇三らの右論文の要旨は、以下のとおりである。

汎発性糸球体性腎炎の発生病理については、連鎖球菌感染の際に、ある種の菌種の菌株では菌体中に催腎炎性物質を含むものがあり、この催腎炎性物質が生体内で遊離すると、その特有の二重性格、すなわち一方では生体内の毛細血管構造に定着すると同時に他方ではその生体に対して抗原性をもつているところから、抗体の生産を促し、そこに発生して来る抗体が相当量に達すると、毛細血管に定着している抗原性物質との間に、抗原抗体結合を起こし、その結果がアレルギー性毛細血管炎となつて激発する。ここに発生した毛細血管炎の臨床像が腎炎である。

かように、疾患の本態についてはかなり解明されているものの、その治療法としては、安静及び食餌療法を除くと、的確なものが見出されていない。そこで、リウマチ性関節炎にも奏効すると称せられているクロロキンを、同じ発症機序が予想される腎炎に使用してみたところ、予想をはるかに超えて、薬剤として最も優秀な成績を得た。(藤井らの報告と同趣旨の症例報告をした後、)効果の発現は主として蛋白尿及び尿沈渣の改善となつて現れるが、症例によつてはこれと同時に一般状態もよくなり、気分もそう快となりあるいはけん怠感の消失を言うものもあつた。クリアランス法による腎機能検査の結果も、慢性例二例、急性例一例において改善がみられた。

副作用については、めまい及び眼のチカチカする感じ等の神経症状等が見られたが、何れもごく軽度であり、かつ一過性で一〜二日の休薬で消退するものが多く、したがつてクロロキンの長期療法に支障を来たすようなことはなかつた。

次に作用機転については、最も確実に効果の現れる所は尿中の蛋白及び沈渣所見の改善であるから、クロロキンの主な作用は糸球体毛細血管構造に結合してそこに起こつている治り難い炎症性反応を直接に安定(鎮静)せしめる点にあると考える。

急性腎炎の治癒し難く慢性症に移行する憂いのあるもの及び急性腎炎後遺症として軽度の蛋白尿を残す慢性腎炎症例は最も適用範囲に属するとの印象を受けた。

(三) 辻昇三は、更に昭和三五年四月に発表した論文(乙B第五七号証)において、前記の症例に新たに三例を加えて報告し、長期持続療法により確かに糸球体に奏効するとの臨床的印象を受けたとし、ヒドロキシクロロキンについても臨床実験を試みていることを述べたうえ、結論として、次のとおり述べる。

「病巣清浄、断食療法を含む降圧療法、副腎皮質系ホルモン及びクロロキン等の抗炎症例の併用と、従来よりの安静、食餌療法との併用によつて、腎災の治癒をかなり促進する可能性があると考えられる。なお、治療法の目的はもちろん完治にあるが、最近の腎機能検査法の結果からみると、糸球体炎の治癒いかんは当然のことながら腎流血量及びGFRの多寡と平行する感がある。流血量及びGFRの比較的低くないものは治りやすく、かつ、病勢の停止の希望は多いが、治療上の目標を完治という線からの病勢の停止という線にやや引き下げて考えてみる必要があることを痛感している。上記に書き連ねた療法も、病勢停止、患者の腎不全に至るまでの期間の延長という意味から応用を考えてみると、従前に比しての治療法の進歩があるということを確言し得るのではないであろうか。」

なお、クロロキン製剤が右のような効果を有するのは、これら薬剤が腎糸球体基底膜に特異な親和性を持つ点にあると考える旨説明している。

(四) そのほか、昭和三五年中に、同様に蛋白尿、尿沈渣の軽快をみたという報告が二件(乙B第七五号証・乙D第一六号証、乙D第一七号証)発表され、治験症例数は、先の藤井らの分を含め三八例となつた。なお、そのほかにも、被告小野がキドラの開発にあたつて依頼して得た治験成績の未公表報告数件がある。その後は、クロロキン製剤の腎炎に対する効果を肯定する論文が、昭和三六年から同四〇年までに多数公表され、外国の論文も若干みられた。

2  他方、<証拠>によれば、昭和三六年の日本腎臓学会総会において、クロロキン腎炎に対する使用についての報告をめぐり、腎炎の治療剤の効果判定には慎重であるべき旨の発言、臨床例において効果を認め得なかつたとの報告、現段階では、効くとも効かないとも判定できないとの意見等が表明されたこと、同三七年一〇月開催の同学会において、順天堂大学大野亟二外は、クロロキンを二三例に投与した治療結果を報告したうえ、これに基づき、クロロキン製剤の腎疾患に対する有効性はまことに疑問であつて、慢性腎炎に対してはほとんど全部無効、急性腎炎例で使用中増悪を見た例すらあり、これら薬剤の臨床効果の再検討の必要があるとの見解を述べたこと、そして、これらの学会の論争は、概ね、クロロキン製剤の投与により蛋白尿の消失又は減少を来たすことがあることを前提としたうえで、蛋白尿の改善が腎炎の病変それ自体を治癒させ得たことの効果であるかどうかを論じていたものであり、結局、昭和三六、七年当時は、腎炎に対する効果が模索されている状況にあつたこと、以上の事実が認められる。

また、<証拠>によれば、薬物療法に関する一般文献である石山俊次外編「今日の治療指針」の昭和三六年版から同四一年版まで、長畑一正「臨床医の治療法―指針と処方」(同四一年六月)、沖中重雄改訂「内科書」下巻(改訂三六版、同年一月)、「実地医家のための新しい薬物療法<その薬理作用を中心に>」(同四四年三月)等は、概ね、急性・慢性腎炎、ネフローゼ症候群等の治療にクロロキン製剤が用いられることがあるが、大きな効果は期待できないとの趣旨を述べている。

日本薬局方解説書については、前述のとおりである。

3  原告らは更に、クロロキン製剤が腎毒性を有し、その投与が腎疾患を更に増悪させたと主張する。<証拠>によれば、クロロキン網膜症患者の原疾患は慢性腎炎が圧倒的に多く、また疫学的にみて、網膜症の発生と腎障害の程度との間にある程度の相関関係が窺われること、その理由としては、一つには、クロロキンが腎炎に対して頻用されたためと考えられるが、腎機能が低下し排泄量が減少してクロロキンの蓄積量が増えるためでもあると説明されており、したがつて重篤な腎障害の患者に対してはクロロキン製剤の投与に慎重であるべきであるとされ、後記昭和四四年の厚生省薬務局長通知の使用上の注意事項にもその旨が含まれていることが認められる。しかさ、全証拠によつても、クロロキンのヒトに対する腎毒性を確認するに足る医学上、病理学上の根拠は未だ明らかでなく、臨床上、クロロキンが単に腎疾患に対して効果がなく、その進行を止め得なかつたということ以上に、腎疾患をかえつて悪化させたという事例が存することも認められない。したがつて、原告らのこの点の主張は採用しない。

4  <証拠>によれば、腎疾患の概要について、次の事実が認められる。

(一) 腎臓そのものに原発する病気としては腎炎(急性及び慢性腎炎)とネフローゼ(又はネフローゼ症候群)があるが、いずれも腎組織中の糸球体が主として侵される疾病である。

(二) 急性腎炎は、溶血性連鎖状球菌その他の細菌の感染後、抗原・抗体に補体がいつしよになつて免疫複合物が糸球体壁に沈着して発病するが、大多数(小児では八〇パーセント以上、成人でも約六〇パーセント前後)は安静と食餌療法で完全に治癒する。

慢性腎炎は、急性腎炎から移行するものと、原因不明のものとがあり、その臨床的病型にはいろいろな型(例えば、潜在期、進行期、ネフローゼ期、慢性腎不全期)があり、各型が相互に重なり合い、あるいは他の型に移行する。慢性腎炎は悪化すると尿毒症になり、人工腎臓の助けを借りないと、ついには生命を維持できなくなる。その各症状に応じて安静、食餌療法を中心に対症療法として薬物療法を行うのであるが、いまだ、慢性糸球体腎炎そのものを治癒させたり、もしくはその進行を抑制する画期的治療法はない。腎炎の特徴的な症状は、蛋白尿、浮腫及び高血圧である。

ネフローゼ症候群には、腎臓が原発の一次性ネフローゼ症候群と他の種々の原因疾患が腎臓を侵して発症する二次性ネフローゼ症候群があるが、前者が圧倒的に多く、七〇ないし九〇パーセントを占める。いずれも症状は高度の蛋白尿及び浮腫並びに低蛋白血症を特徴とする。

(三) 腎臓疾患による蛋白尿の発生要因としては、(1)糸球体からの蛋白質ろ過量の増加、(2)尿細管再吸収の低下、(3)血漿蛋白質に糸球体透過性の大きい異常蛋白質の存在、(4)尿細管及びそれ以下の尿路からの蛋白質の分泌、あるいは、これら要因の複数の存在が考えられるが、その内でも、糸球体からの大量ろ過と尿細管がこれを再吸収し切れないことが、最も重視される。

蛋白尿の程度が軽くなることは、腎臓の病変の改善による場合もあるが、必ずしも常にそうではなく、病変の進行による場合もあり、臨床的には蛋白尿の程度だけからでは必ずしも腎臓疾患の経過や予後を判断し得ず、したがつて、蛋白尿だけを治療の対象にするのでは十分でない。しかし、他に根本的治療方法がない状況においては、蛋白尿の改善を一つの指標として治療を試みることにも、意義がないわけではないということができる。

三腎炎に対する有用性

以上にみたところによれば、腎炎(ここでは、ネフローゼ症候群を含めた意味でいう。)に対してクロロキンを投与することは、腎炎の特徴的症状の一つである蛋白尿の改善を、常にではないが、しばしばもたらすものであり、その限度での効果は、前記再評価結果においても、認められているところである。そして、蛋白尿の減少は、蛋白尿の発生要因の内の最も大きいものと考えられる糸球体の蛋白透過性が改善されたためであり、その改善はとりもなおさず糸球体の病変の軽快を意味すると推論することは、当然考えられることであるが、このような辻昇三らの推論を、その後の実験や研究によつて裏付けたものはなく、むしろ疑問とする考え方も強くて、右推論をただちに正当なものと解することはできない。しかし、他面、クロロキンによる蛋白尿減少の効果が、腎の病変自体の変化と全く無関係に生じているということも、確認されているわけではない。そうすると、今日においても、クロロキンが腎炎に対して真に有効であるか否かを判断し得る状況にはないというほかはないが、ただ、昭和三三年から同五一年の前記再評価の時点までの間の知見に基づけば、クロロキンは、腎炎の症状の主要なものである蛋白尿の改善については、ある程度の効果を期待することができたものということができる。そして、そういう意味では、クロロキンによる腎炎の治療は、疾患の原因の除去に直接の効果を生ずる証拠がないため、もつぱら症状の改善を目的としたものということになり、強いて分類すれば、対症療法に属するものであるが、対症療法であるが故に、ただちにその有用性が否定されるものではない。病変の原因を直接除去し得る薬剤その他の治療方法が存することが理想ではあるが、そのような治療法の有効なものがない場合にも、臨床医家としては、医療行為を放棄するのではなく、対症療法のみにせよ、能う限りの治療を試みることが当然期待されるのである。一般に、症状の改善は、少なくとも患者の苦痛を緩和し、更に、病勢の進行を停止しもしくは遅らせ、あるいは全身状態の改善により自然治癒力を増進させる等の効果を生ずることが期待されるのであり、前記の知見の状況において、腎炎における蛋白尿の改善が右のような効果を全く有しないとする証拠もない。そして、対症療法としての薬剤の有用性は、疾病の重大さ、他の治療方法の有無、症状軽減の効果の程度等と、副作用の重大さの程度とを衡量して定めるべきであり、腎炎に対するクロロキンの有用性も、その見地からすれば、前記再評価以前においては、肯定する余地が全くないわけではなかつたものというのが相当である。

四エリテマトーデスに対する有効性、有用性

本件に提出された各医学論文をみても、エリテマトーデスに対するクロロキンの有効性は、関節リウマチに対する有効性とともに、疑う余地がないものと認められる。

<証拠>によれば、アメリカにおいては、リン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠が合衆国薬局方(USP)の第一四版(一九五〇年一一月七日から有効)に収載され、以後引き続き第一九版(一九七五年七月一日から有効)まで、抗マラリア、抗アメーバ、エリテマトーデスの治療薬として収載されてきており、そしてFDAは、一九七一年に、国立科学院、国立研究協会の医薬品薬効研究グループの報告に基づき、リン酸クロロキン(アラーレン)がマラリアのみでなく、円板状、全身性エリテマトーデス及び関節リウマチにも有効であると結論づけたこと、イギリスにおいても、同国薬局方(BP)の一九五三年―一九五五年追補(一九五六年三月一日から有効)に、マラリア、アメーバの治療薬としてリン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠が収載されて以来、一九六三年、一九六八年、一九七三年(同年一〇月一日から有効)の各薬局方にも、いずれもマラリアのみでなく、円板状エリテマトーデス(一九六八年の薬局方以降はエリテマトーデス)及び関節リウマチの治療薬として収載されてきたこと、以上の事実が認められ、エリテマトーデス及び関節リウマチに対するクロロキン製剤の有効性、有用性は、国際的にも一般に承認されているものと解される。わが国の前記再評価結果においても、この点での有用性は否定されていない。

第五被告製薬会社の責任

一製薬・販売業者の注意義務

1  現代における医薬品は、多くの場合、人工的に合成された化学物質であり、人体にとつては外界から来る異物であつて、一方において人体の病変・病理現象を抑制し治癒させる方向へ働くとともに、他方で人体に対する有害な侵襲をもたらす危険をはらむものである。製薬業者は、できる限り病変を治癒させる効力が強く、しかも有害な影響すなわち副作用の少ない薬品を求めて、開発、製造を続けるのであるが、疾病が重大であり、かつ、他により優れた治療方法が確立されていない場合には、たとえ相当重大な副作用を生ずる危険を伴う医薬品であつても、その治療効果の面からこれを提供することが適当であると認められるときには、その製造、販売をして、臨床医家、患者に提供することが是認されるのである。

他方、医療の現場における個々の診療にあたつて、どのような薬剤をどのような方法で投与するかは、臨床医師が、患者の具体的状況に応じ、副作用にも注意を払いつつ、決定して行くべきものであり、その意味で、医薬品の使用は医師の裁量に委ねられているということができる。しかし、医師がそのような裁量による判断を正しくなし得るためには、各薬剤について、効果、用法・用量、更に副作用についての情報等が、誤りなく、なるべく詳細に伝えられていることが必要であり、そのような知識・情報は、各医師においても、一般薬理書、論文、学会報告、その他の文献から広く収集するよう不断の努力を尽くすことがもとより望ましいことではあるが、臨床医師が、膨大な種類の医薬品について、自ら正確な知識を獲得することは、とうてい期待し得ないところであつて、医師としては、当該薬剤に付せられた製薬業者からの情報を直接のよりどころとするほかはないことになる。このことは、薬剤が薬局によつて市販される場合の薬剤師にとつても同様であり、いわんや、薬剤の投与を受ける患者である一般大衆にとつては、製薬・販売業者の提供するもの以外の情報を入手する手段も、それを判断する能力もないのである。

医薬品は、その時々の最高の学問的水準に基づいて製造されあるいは改良されて行くものであり、そのような学問的水準に属する知識・情報を最も良く収集し得るのは、当該医薬品を製造販売する製薬業者であるから、医薬品が臨床医家によつて適切に使用されるためには、製薬業者が、医薬品の効果及び副作用に関する的確な情報を誤りなく臨床医家に提供する必要がある。

2 とくに副作用防止の見地からいえば、医薬品の不適切な使用が使用者に損害を及ぼすものであることに鑑み、製薬業者としては、自己が社会に提供する医薬品によつて、使用者に不測の損害が生ずることのないよう、最善の努力を尽くすべきである。そして、製薬業者は、副作用に関する知識・情報を収集し得る能力において、臨床医家及び患者に優るものであること、製薬業者は、医薬品を製造・販売することにより利益を得ることを目的とするものであること、副作用がきわめて重大な身体被害を発生させる場合があり得ることを考えれば、製薬業者が副作用防止のために極力努力すべきことが、その一般大衆に対する法的義務であることは、疑いのないところである。すなわち、製薬業者は、医薬品の開発・製造にあたつては、十分な文献調査、実験、研究をして、その有効性はもとより、安全性をも確認し、副作用の有無、程度等を予め知悉したうえ、副作用の存在にかかわらず、有用性があるものと認め、製造・販売することとした場合には、副作用の種類、程度、発生の蓋然性の程度、更には副作用防止・回避の方法等を医師、患者に伝達する方策を講じるべき義務を負うものというべきである。また、製造・販売を開始するまでの段階における調査研究では予測し得なかつた副作用が、実地の臨床使用の過程において判明することも、しばしばあり得ることであるから、製薬業者は、医薬品の販売を開始した後にも、その副作用について反覆継続して調査すべきであり、たとえ相当長期間の使用で重大な副作用の症例が現れなかつた場合でも、右継続調査義務が軽減されるものではなく、当該医薬品が販売され実用に供されている間は、副作用調査義務は存続するものというべきであり、その間、製薬業者は、当該医薬品に関する医学、薬学その他関連科学分野における内外の文献、報告等の資料を調査して副作用情報を常時収集するよう努めなければならず、このような調査によつて、販売後、当初知られていなかつたか又は予想されたよりも重大な副作用情報を入手したときは、速やかに対処すべく調査検討に着手し、副作用の発生を回避する可能な限りの措置を講ずべきである。右の副作用情報とは、当該医薬品によつて特定の副作用が発生するという因果関係を疑わせる一応の理由があるものであれば足り、製薬業者は、このような情報を得たならば、ただちに、自ら、その時点までの臨床上の諸報告、内外の文献を精査することはもちろん、必要に応じ動物実験、当該医薬品服用者の病歴及び追跡調査等を実施して、医薬品と副作用の因果関係の有無、副作用の程度等の解明、確認を行うべきである。なお、右にいう調査すべき文献は、当該医薬品の適応領域(クロロキンについては、内科、整形外科、皮膚科等)の専門分野のものには限られない。けだし、副作用発生の危険性は、その適応領域に限らず、全身の諸機能に存するからである。とくに、視神経は、きわめて鋭敏な機能をもつもので、当然外界からの異物に反応しやすいと考えられるから、内科向けの医薬品であつても、眼科の文献に対する配慮を怠つてはならないのである。

そして、右の調査、研究の結果、当該医薬品と副作用との間の因果関係の疑いを払拭しきれない場合に、その医薬品の有効性、必要性が高いものではなく、予想される副作用が重篤なものであるときには、製薬業者は、即時、製造・販売を中止し、更には、既に流通している医薬品を回収する措置をとるべきであるが、当該医薬品が有効、有益であり、適当な代替物がないため、副作用の危険にもかかわらず、なお販売を継続するのが相当であると判断されるときには(その判断自体も最高の医学水準に基づく適切なものでなければならないことはもちろんであるが)、医薬品を使用する臨床医家に、起こり得べき副作用の種類、性質、発生の蓋然性、その検知方法、予防手段の有無、回避方法等について能う限り詳細な最高水準の情報を提供すべき義務を負い、とくに慢性疾患を適応とする医薬品については、当然長期間にわたる使用が予想されるものであるから、長期連用が副作用の危険を増大させると考えられる場合には、効果と副作用の徴候とを注意深く見守りつつ投与し、一定期間に効果をあげえないときは、投薬を打切るよう注意し、漫然長期連用されることのないよう厳重な警告を発すべきであるといわなければならない。

3 右の注意義務は、自ら医薬品の製造を行わない輸入販売業者にも等しく認められるというべきである。このことは、薬事法が医薬品についての各種許可、承認に関し製造業者と輸入販売業者とを同等に取扱つていることからみても明らかである。ただし、輸入業者は医薬品の開発製造の過程に関与するものではないから、副作用の調査・研究の方法に自ずから差異はあるが、輸入業者は、輸入販売の開始に先立ち、輸出製造元に対し当該医薬品の開発過程における必要資料の開示を求め、物質自体についての科学的資料や前臨床試験及び臨床試験結果等の資料を自己の責任で検討し、疑義があれば自ら内外の文献調査や試験などを実施して、その有効性並びに副作用の有無、程度等を確認し、一応有効性を認めて輸入販売を始めるにあたつては、副作用の情報を臨床医家、使用者に提供すべき義務があり、また、販売開始後も、同様の方法をもつて、最新、最高の副作用情報を収集するように努め、これを臨床医家等に提供し続けて行く義務があるということができる。

次に、被告武田及び同稲畑のごとく、自ら製造又は輸入には関与しないが、販売元として医薬品を一手販売する者も、国内において医薬品を初めて流通に置くものとして、社会的には製造(輸入)業者と全く同一の地位に立つものであるから、その責任は異ならないというべきである。けだし、前記のような製薬業者の注意義務は、医薬品を販売して利潤をあげる者と、それを使用し又は使用せざるを得ない最終利用者である一般大衆との立場、利害の衡量、副作用情報収集の能力の隔絶等をも考慮して、公平の見地に立脚して認められるものということができるところ、製造業者と販売元とが異なる場合には、販売業者が医薬品の流通の根源に立ち、販売業者の利潤を目的とする企業活動により、かつ、販売業者の商号の知名度や信用を利用して、医薬品が使用者のもとへ提供されるのであり、他方、販売業者自身も、製造業者と同様の情報収集能力を有し、副作用についての調査、研究を尽くすことを期待することができ、また、流通に伴い継続的に情報提供をなし得る立場にあるものと考えられるからである。したがつて、販売業者は、医薬品の安全性について責任を負わない旨の被告武田の主張は理由がない。

4  被告らは、公定書、日本薬局方記載の医薬品は、公的に安全性が保証されているものであるから、これについては副作用に関する注意義務が軽減される旨主張するもののようである。

しかし、旧薬事法三〇条による国民医薬品集は、医薬品の強度、品質及び純度の適正な基準を定めたものであり、現行法四一条、五六条に基づく日本薬局方も医薬品の性状及び基準を定めるものである。そして、<証拠>によれば、国民医薬品集は、医薬品の急速な発達に応ずるため日本薬局方を補足する目的で旧法の下で設けられたもので、日本薬局方と表裏一体の関係にあつたこと、そもそも日本薬局方が制定されるに至つたのは、有効な医薬品は純良な品質を保有するものであることが不可欠であるところから、一般に治療上用いるに必要な強度、純度及び品質の基準を定め、これを法的に強制することを目的としていたこと、昭和三〇年の第二改正国民医薬品集には、薬局方に収載予定の医薬品、薬局方から削除されたものでなお市場性大なる医薬品及び薬局方収載に準じ重要な医薬品が収載されたが、その際、まだ日本薬局方に収載されていないが、国際薬局方(IP)、英国薬局方(BP)、米国薬局方(USP)等に収載されている品目であつて繁用されているものは、これをほとんど収載する方針が採られたため、燐酸クロロキンも右国民医薬品集に収載されるに至つたこと、その燐酸クロロキンの項には、性状、確認試験、純度試法、乾燥減量、貯法及び常用量(一回〇・二五グラム、一日〇・五グラム)がそれぞれ記載されていること、その後も、リン酸クロロキンが第七及び第八改正日本薬局方に引き続き収載されているが、その記載の内容はいずれも右と同一であること、以上の事実が認められる。

以上のところから明らかなとおり、旧法の公定書及び現行法の日本薬局方は、その収載医薬品の性状、品質の基準のみを定めたものにすぎない。したがつて、その基準に適合した医薬品は、通常その常用量を用いれば治療に効果があることを前提として、性状、品質の面では安全であり、欠陥がないということ、すなわち、その面では不良品でないということが保証されていると言えるけれども、当該医薬品に治療上目的とした効果以外の好ましくない効果、つまり副作用があるか否か、あるとすればそれはどういう副作用なのか、という面での安全性については公定書及び日本薬局方は関知していないものと解されるから(もつとも、厚生大臣が日本薬局方に医薬品を収載するにあたつて、副作用の有無をも審査する権限を有することは、後記第六、二2のとおりであるが、そのことは、収載された医薬品について十分な副作用の審査を経ていることを意味しない。)長期間繁用されている医薬品には、安全性に比較的問題が少ないと考えられるにしても、公定書及び日本薬局方収載医薬品であるが故に、副作用の面で、安全性が公的に保証されているということは、とうていできない。

したがつて、公定書、日本薬局方収載の有無は、医薬品の製造・輸入・販売業者の安全確保義務の内容、程度を左右するものではない。

二クロロキン網膜症の予見可能性

1  外国文献による予見可能性

前記第三、一認定のとおり、クロロキン製剤による網膜症の発生は、昭和三四年(一九五九年)一〇月発行のランセット誌に掲載されたホッブス論文とそれに続くフルドの報告によつて明らかにされており、被告製薬会社も、同三五年一月ごろには、右ランセットを入手し検討することにより、クロロキン製剤の連用による網膜症の発生を予見することは可能であつたと認められ、それ以後、年を追うごとに、その予見は安易になつていつたものということができる。

2  被告製薬会社が予見した時期

(一) 被告吉富は、昭和三六年初めごろ、ドイツ・バイエル社からホッブズら論文を入手し、同三七年一一月には大木らの症例報告を聞いたことを自認している。また、被告武田、同吉富及びドイツ・バイエル社との三者間基本契約に基づき、被告吉富のドイツ・バイエル社から輸入する薬品を被告武田が国内で一手販売する関係にあつた旨の同被告の弁論の全趣旨に照らせば、反証のない限り、ドイツ・バイエル社から被告吉富にもたらされる医薬品情報は、ただちに同武田にも伝達されたものと推認することができる。更に、被告住友及び同稲畑は、同住友が、昭和三六年一二月のキニロン発売当時、ホッブスら論文、フルドの報告及びそれ以前のクロロキンによる眼障害に関する諸文献を検討したことを認めている。したがつて、右各被告製薬会社の代表者は、クロロキン製剤を長期連用するとクロロキン網膜症が発生する場合があることを、右各日時ごろ、現実に認識していたものと推認することができる。

(二) 被告小野は、昭和三六年一月のキドラ発売時のみならず、同四二年三月までクロロキン網膜症を知らなかつたといい、被告科研も、同三八年三月のCQC発売当時これを知らなかつたと主張する。しかし、同三八年三月には、わが国でも既にクロロキン網膜症の報告があり、海外では相当数の文献が現れていたし、同四〇年以降には、内外に同症に関する多数の文献が集積されていたのであるから、クロロキン製剤の製造業者が、右各主張の当時までクロロキン網膜症を知らなかつたというのは、信じがたいことである。

ところで、<証拠>によれば、被告科研は、「日本腎臓学会誌」第五巻第二号(昭和三八年四月)以降、「リウマチ」第四巻第三号(同三八年九月)以降、「診療」第一七巻第二号(同三九年二月)以降、「日本整形外科学会雑誌」第三七巻第一号(同三八年)以降、「皮膚科の臨床」第一〇巻第一四号(同四三年)以降、「臨床整形外科」第三巻第五号(同四三年)以降、「臨床皮膚泌尿器科」第一九巻第一〇号(同四〇年)以降、「臨床皮膚科」第二一巻第一号(同四二年)以降、概ね同四五年秋ごろまで、多数回にわたり反覆して右各雑誌に次の内容の広告を掲載したことが認められる。

「本品はクロロキン塩基とコンドロイチン硫酸とを化学的に結合させたものでそれぞれの単独投与にまさる相乗効果が期待される。

非常に毒性が弱いので大量・長期投与に適す。従来のクロロキン製剤では相当高率に副作用(主として胃障害、稀に神経障害、網膜障害)が現れるが、CQCでは稀に軽度の一過性胃障害を認めるに過ぎない。

効果はやや遅効性であるが適確に現れる。長期投与が望ましい。」

右広告は、要するに、自社のCQC以外のクロロキン製剤では、その副作用として網膜障害が現れることを宣伝するものであり、これによれば、被告科研は、CQCの発売当初から、少なくともCQC以外のクロロキン製剤により網膜症が発生することを認識していたものと認めざるを得ない。被告科研は、右広告について、何らの検討をしないで安易に「網膜障害」の語を使用したものにすぎない旨主張するが、相当の規模を有し(<証拠>によれば、同被告は、昭和二五年一〇月三〇日設立され、資本金が同三四年当時九八〇〇万円、同四〇年当時三億六七五〇万円の株式会社であることが認められる。)、高度の科学水準にある医薬品を自ら開発、製造する能力を有する製薬業者が、医学専門雑誌(したがつて、その読者は、当然、医学、薬学関係の学者、研究者並びに臨床医師、薬剤師等の専門家であることが予想される。)に広告を掲載するにあたつて、右のように重要な、広告で強調したい点において、医学用語を意味もなく安易に使用し、それを七年間余にわたつて続けたということは、全く信じ得ないことである。

なお、右広告内容に関連して、被告科研は、CQCにつき、肝、腎の保護の機能があり、それ自体腎疾患に対して有効性のあるコンドロイチン酸をクロロキンと結合させたことにより、クロロキンの毒性を緩和し、その副作用を防止するに足るもので、その点で他社製品と異なるものである旨主張するが、全証拠によつても、両者の結合による治療効果の増強はともかくとして、それにより網膜症という重篤な副作用を防止するに足ると信ずべき十分な根拠があつたものとは認められず、右主張も採用することができない。

(三) また、前掲の各証拠によれば、CQCの右内容の広告が掲載されていた「日本腎臓学会誌」の第六巻第一号(昭和三九年四月)ないし第七号、「臨床皮膚泌尿器科」第一九巻第一〇号ないし第二〇巻第一号、「リウマチ」第六巻附録号に被告小野がキドラの広告を掲載していたことが認められる。製薬業者は、当然自社製品と競合する他社製品の広告に関心を抱くはずであるから、右の科研の広告の存在の事実からも、被告小野の代表者は、遅くとも昭和三九年四月ごろには、クロロキン製剤により網膜障害が現れることを知つていたものと推認することができる。

(四) 次に、<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(1) サリドマイド事件を契機として、世界各国で医薬品の安全性確保が問題となつたのに呼応し、わが国の製薬業界の自主的組織として「医薬品安全性委員会」が設けられ、昭和三八年六月二〇日を最初として、以後二か月おきに委員会が開催され、その時々の、内外の副作用情報の報告、FDA等海外機関の特定の医薬品に対する副作用警告やその規制の動向等の報告、関連資料の配付、これら報告に関する検討、更にはわが国の医薬品安全性対策や薬務行政の動向に関する意見の交換、厚生省当局に対する要望のとりまとめ等広範な活動を行つてきた。被告吉富、同武田、同住友及び同小野は発足当初から、被告科研は昭和三九年五月一五日の第六回委員会からそれぞれ右委員会に委員として加わつていた。

なお、当初から委員会そのものではないが、その懇談会に、厚生省当局から、時には薬務局長、大概は薬務局製薬課長や同課の事務官、技官が出席し、医薬品の各種情報交換、薬務行政上の措置の連絡等の場としてこれを利用していた。

(2) 昭和四〇年一月二一日開催の第一〇回安全性委員会において、同会の福地信一郎委員長は、「昨年一〇月ごろにハンフリー上院議員から送付されてきたアメリカ上院議院における医薬品問題についてのレポートを見ると、多数の医薬品の安全性問題が取り上げられている。」旨の説明報告をした。同委員会には、被告製薬会社の内委員である前記五社の者が出席していたが、とくに被告小野からは亀谷英造常務取締役生産部長、オロチン酸クロロキンの製法の発明者で、当時研究室次長の山本勝美が出席していた。

(3) そして、アメリカ合衆国議会上院における「政府活動調査委員会行政改革国際機構小委員会」議長ヒュバート・H・ハンフリーの一九六三年第八八回議会の聴聞記録第三部には、FDAが一九五五年に着手した文献調査と病院診療所からの収集を主とする医薬品副作用報告計画(ARRP)のことが述べられており、その第五部には、NINDB(国立神経疾患失明研究所)のクロロキン網膜症の症例報告、FDAがアラーレンにつきウインスロップに対し行つた行政的規制の経過、ウインスロップが一九六三年一月作成し医家向けに発送したいわゆるデアー・ドクター・レター(次項参照)が載つているほか、クロロキン網膜症に関する、例えばその早期発見法や発生機序に関する「メディカルレター」一九六二年一二月二一日号、「JAMA」の一九六三年六月八日号及び同年七月二〇日号等が証拠資料として示されているとともに、米国国立医学図書館が一九六四年三月三日付で作成したクロロキン網膜症に関する文献表が添付され、そして、右第三部は昭和三八年四月五日に、右第五部は同三九年一一月一一日に、いずれも日本の国立国会図書館が受け入れている。

(4) 前記ウインスロップのデアー・ドクター・レター発送までの経緯とその内容は、本件における被告製薬会社のとるべき措置を考えるうえで、参考となるものであるから、その大略を述べる。

リン酸クロロキン製剤アラーレンの製造者であるウインスロップは、FDAの勧告に従い、一九五九年一一月作成のアラーレンの説明書に初めて角膜症の警告を記載したが、一九六〇年五月、FDAに、アラーレン及びプラキニール(硫酸ヒドロキシクロロキン)の二つ折及び説明書中に網膜障害を含む眼障害を記載した文書を挿入することを申し出、原案につきFDAの指摘を受けて一部改訂を施した結果、同年六月、アラーレンの製品カード、二つ折に「網膜血管の反応が、おそらく特異体質に関連しており、そしてキニジン、サリチル酸塩、その他のある物質で観察されるものに匹敵するであろうが、エリテマトーデスあるいは関節炎の治療のために最低三年九か月、毎日一〇〇〜六〇〇ミリグラムを服用していた三人の患者で発生したと報告された(ホッブスら論文を引用)。黄斑部病変と狭細化した網膜血管とそれらによる暗点視と視野欠損は明らかに非可逆的であつたが、治療の中止で進行を止めた。今日まで何らかの網膜変化がプラキニール……だけを服用していた患者に発生したことは報告されていない。しかしながら、更に臨床上の経験を積めば、そのような副作用がどのような4―アミノキノリン化合物でもまれには起こることを示し得るかも知れない。」と記載するに至つた。

その後、一九六二年八月、ウインスロップは、FDAとの間でアラーレンの説明書改訂の話合いをし、FDAの提案にそつた添付文書、製品カードと製品説明書の原文並びに網膜毒性についての公刊された報告類をFDAに提出したが、原文の網膜障害に関する記載は次のとおりかなり詳細なものであつた。

「網膜変化は網膜血管の狭細化、黄斑部病変(浮腫領域、萎縮、異常な色素沈着)、乳頭の蒼白、網膜色素沈着からなり、多分特異体質あるいはその他の未知の要因によるであろうが、長期クロロキン治療(通常は二年あるいはそれ以上)中に発生するまれなものとして報告されている。それらの大部分は非可逆的であると見られている。これらの合併症は、キニーネ、キニジン、サリチル酸や幾つかのその他の物質で観察されるものと比較可能であり、その薬剤の直接的な毒作用とは思われない。なぜなら数人の患者は六年以上にわたつて網膜変化の進展を伴わず五〇〇グラム(二五〇ミリグラムを二〇〇〇錠)程服用したからである。夜盲症と視野欠損を伴う暗点視の他覚的な症状は、例えば単語が消えることによる読書困難、対象が半分しか見えないこと、もやのかかつた視力と眼前の霧をもたらした。視野欠損は、ほとんど常に二年あるいはそれ以上の間治療をした患者でのみ発生したし、網膜症を伴つていたが、網膜(眼底鏡的な)変化を伴わない暗点視の三症例が報告されており、一年あるいはおそらくそれ以下の治療の後である一人を含んでいる。これらの症例は、この薬剤による長期治療中に初期変化を検出するための定期的な視野検査を勧めるべきことを強調している。現在に至るまでプラキニールだけを服用している患者に網膜変化又は異常な視野変化が発生したことは報告されていない。しかしながら、より臨床的な経験を積めば、そのような副作用が4―アミノキノリン化合物のどのようなものでもまれには発生することが示されているかも知れない。どのような抗マラリア化合物によるものでも長期治療が考えられたら、最初と定期的な眼科学的な検査(細隙灯、眼底、視野検査を含む)を勧める。角膜変化が発生したなら(それは可逆的であると考えられ、時としては治療を継続してさえ消えて行く。)、薬剤を中止することの利益を、各々の症例において治療の継続から生じ得る治療上の有益とを比較衡量すべきである(時としては重篤な再発が中止後にある)。視野あるいは網膜変化の証拠がある時は、薬剤の投与は即時中止すべきである。」

右のような改訂原案にもかかわらず、FDAは、同年一〇月、ウインスロップに対し、これを更に次のように改訂するよう案を示した。すなわち、それは、

① 右原文中で、網膜症については特異体質だけでなく、総投与量並びに直接的毒作用にもおそらく関係するものとして記述さるべきである。この毒作用が「通常二年以上」(の投与)後生ずるという点は、数か月から数年以内にも発生すると変えられるべきである。網膜障害の内容についても完全に記述し「網膜血管」の狭細ではなく、「網膜細動脈」の狭細とし、また、単に「乳頭の蒼白」というだけでなく、斑点状の網膜色素沈着、視神経萎縮を含めるべきである。

② 視野欠損は、中心周囲型と輪状型とがあり、位置としては典型的には側頭部に出現する。これは視力喪失と同様、投薬中止後も進行していく可能性があるということが強調されなければならない。視野欠損は「大部分は非可逆」という代わりに、実際上非可逆と記述さるべきである。単に「望ましい」ということではなく、当初の基準と最少限専門家による検眼鏡検査、細隙灯検査、視野検査を含む三か月ごとの完全な眼検査の「必要性」が明確に強調されなければならない。

③ プラキニールも網膜病変、視野変化、失明を惹起し、あるいは増悪させることがあることが認められるべきである。「現在に至るまでプラキニールだけを服用している患者に網膜変化又は異常な視野変化が発生したことは報告されていない。」という文章はもはや正しくない。等々の厳しい、かつ、きめ細かな勧告案であつた。

ウインスロップは、同年一一月、FDAの右勧告指示に全面的に従つて、アラーレンの製品解説書、添付文書、製品カードを改訂し、改訂済みの右解説書を添え状(つまりドクター・レター)と同封して全米の一般開業医、専門家、整骨医を含む約二三万二〇〇〇人の実務家に対して郵送するものとして、右添え状の文案をFDAに提出したが、これに対してもFDAは、同年一二月、ウインスロップに、右文書と封筒にそれが何であるかわかる様に「薬品警告」と記し、併わせてその文書の目的がリン酸クロロキンの眼に与える影響に関する危険性を医家に警告することにあることをはつきり示すように冒頭部分を書き直すべきであること、眼科的検査の重要性をより強調すべきであることを勧告した。

かくして、ウインスロップは、右勧告の趣旨に従つて、前記デアー・ドクター・レターを発送した。

(5) 前記医薬品安全性委員会の昭和四〇年五月一八日開催の第一二回委員会の懇談会に出席した薬務局製薬課長豊田勤治(同三九年八月から同四二年九月まで同地位にあり、同四五年一一月から薬務局参事官、同四八年八月から同五〇年四月まで薬務局審議官)は、同三九年九月ごろ以降リウマチの治療のためレゾヒンを購入し服用していたところ、同四〇年四月ごろ医薬品安全性委員会の委員長である福地信一郎から同年三月に開催された日本リウマチ学会で不可逆性のクロロキン網膜症の症例報告があつたとして、その報告の抄録を受取つたので、自分の視力が同年一月ごろから急に衰えたのもレゾヒンのせいかも知れないと思い、その服用を止めたものであるが、右懇談会の席上、クロロキン網膜症の症例報告のあつたことと自己の右体験を述べ、かような医薬品を一般薬局で自由に手に入れることができてよいものか否か、この安全性を今一度確かめる必要があるか否か薬務当局も考慮中であり、企業側でも情報があつたら当局に知らせてほしい旨述べた。同日の委員会には、委員である被告製薬会社五社(被告小野は前記亀谷、山本)が出席していた。

また、昭和四〇年七月八日の第一三回委員会、あるいは遅くとも同年九月二一日開催の第一四回委員会(出席者前同)で、資料としてFDAのARRB(副作用報告係)月報(一九六四年六月)が出席委員に配付され、同書には、リン酸クロロキン″アラーレン″の副作用として、黄斑部変性及び網膜周辺部の変性一例、網膜の黄斑部変性一例が記載されていた。

更に、昭和四一年一一月九日開催の第二一回委員会(出席者前同。ただし被告小野からは山本)では、資料として「新薬の副作用に関する資料」高杉益充外月刊薬事第八巻第一〇号(同年一〇月)が配付されたが、そこにはクロロキン網膜症ないし網膜障害の症例の記載があつた。

以上の認定事実によれば、被告製薬会社は、その自主的な組織である医薬品安全性委員会の活動を通しても、昭和四一年末までに何度もクロロキン網膜症を知る機会があつたのであつて、そうであるからにはその機会に同症の情報が自社の出席委員を通じて最高主脳部に伝達されたものとみることが自然であり、それにもかかわらず同四二年三月までクロロキン網膜症のことを知らなかつたとの被告小野の主張は、全く信ずるに足らないというべきである。

(五) 更に、<証拠>によれば、被告小野は、昭和三五年一月三〇日オロトン酸(オロチン酸と同じ)クロロキンの、同年三月二七日グルクロン酸クロロキンの、また同三六年五月一一日クロロキンペクチン酸塩の各製法特許の出願をし(前二者の発明者は山本勝美、後者のそれは同じく被告小野の研究員である郡誠二)、それぞれ認められて登録されたのであるが、その願書に添付した「発明の詳細な説明」において、いずれも要するに、クロロキンの副作用(食欲減退、船酔症状等と記してある。)の除去を目的として新しい化合物の合成に成功した旨記述していたこと、山本は、オロチン酸クロロキンの合成研究に先立ち、出発原料の物理化学的性質を当時のケミカル・アブストラクト等で調べたことが認められるところ、右事実によれば、山本ら被告小野の研究員は、右各クロロキン製剤の合成研究、開発の際に、クロロキンの副作用につき詳しく調査したはずであり、そして、遅くとも、クロロキンペクチン酸塩についての特許出願時までには、ホッブスら論文を引用しているケミカル・アブストラクト一九六〇年八月二五日号(前記第三、一1(四))を参照したものと推認される。

そして、被告小野の最高主脳部は、自社の研究部員の発明につき会社として特許出願を行うべきか否かの決裁をする際に当然当該発明の内容につき主務者の報告を求めるであろうから、その際クロロキン網膜症の存在について認識する機会が十分にあつたものと推認することができる。

以上、諸般の事実に照らせば、被告小野薬品の代表者においても、キドラ発売から間もない昭和三六年五月ごろには、クロロキン製剤を長期連用すればクロロキン網膜症の発生し得ることを認識していたものと認めるのが相当である。

三被告製薬会社が結果回避のためなすべき措置

クロロキン製剤が、関節リウマチ及びエリテマトーデスに対して有効、有用であることは、前記のとおりである。

腎炎(ネフローゼ症候群を含む。)に対するクロロキンの効用には前記のような問題があるが、腎炎が遂には死につながる病気であり、他に適切、根本的な治療方法もない(腎移植又は人工透析は重篤な腎不全の状態に陥つた後の手段である。)のであるから、何ほどかの症状軽減の効果が認められる薬剤があれば、これに頼らざるを得ない状況にあり、したがつて、クロロキンを腎炎に用いることにも、それなりの意義はあつたと考える。他方、被告製薬会社は、クロロキン網膜症発生の危険を予見した時点において、それが不可逆的でかつ往々にして重篤な結果をもたらすことをも当然認識し得たのであるが、当時、その発生の頻度は必ずしも高いものではなく、長期大量投与の場合に生じ得るものと考えられていたのであるから、使用方法が適切であれば、重大な副作用の発生を回避することができると判断したとしても、強ち誤りではなかつたものとみることができる。そうすると、昭和三五年ごろから同四八年(前記再評価の前であり、かつ、原告ら患者に対する最終の投与の時期)ごろまでの間において、クロロキンの有効性と副作用とを衡量した場合、副作用に十分注意しつつこれを用いるならば、有用な薬剤たり得ると判断することは可能であつたということができるから、被告製薬会社が、クロロキン網膜症の発生の危険性を予見し又は予見し得た時点で、ただちにクロロキン製剤の製造販売を全面的に中止し又は既に販売された薬剤を回収すべき義務が生じたとはいえないし、また、適応症から腎炎を削除すべきであり又は腎炎適応症として販売してはならない義務があつたとただちにいうこともできない。

しかし、被告製薬会社が、副作用の危険を冒して、クロロキン製剤の製造販売を始め又はこれを継続する以上は、副作用の重篤性に鑑み、自らそれについての調査研究を尽くしたうえ、臨床医家に最善の副作用情報を提供して、その使用を誤りなからしめ、もつて副作用の発生を防止する義務を負うことは、前記のとおりであり、具体的には、起こり得る副作用の性質、程度、特徴、症状、発現の頻度、検知方法、発症後の対処方法等を能書等の文書に詳細に記載し、更にはその他の方法をもつて伝達すべきであつた。とくに、クロロキン投与量と網膜症発生との間の定量的関係は明確にされていないが、長期大量投与がクロロキン網膜症発生の危険性を増大させることは明らかであつたし、慢性疾患への投薬はともすれば長期化し勝ちであることからすれば、右の副作用情報においては、長期連用・過剰投与を厳しく戒しめるべきであり、その警告は、できる限り念入りになされるべきであつたということができる。

なお、能書等に用法・用量が定められていても、それは薬剤が有効に作用する標準的な量等を示すものであり、他面臨床的な使用は、医師が個別具体的な状況に応じて、裁量をもつて決定していくのであつて、用法・用量はその目安を示すにすぎないともいえるから、とくに慢性疾患に用いる薬剤については、副作用の警告が伴つていなければ、製薬会社の指示を越えた大量長期投与を招きかねないのであつて、用法・用量の指示は、それだけでは大量長期投与の防止にはならず、副作用対策の意味をもち得ないのである。

四被告製薬会社のとつた処置及び公的規制措置

1  公的規制措置

(一) 厚生大臣及び厚生省当局がクロロキン製剤について次のような規制措置をとつたことは、当事者間に争いがない。

(1) 厚生大臣は、昭和四二年三月一七日現行法施行規則の一部を改正して、クロロキン、ヒドロキシクロロキン、それら塩類及びそれらの製剤を劇薬に指定する(省令第八号)とともに、昭和三六年厚生省告示第一七号の一部を改正し、クロロキン、その誘導体、それら塩類及びそれらを含有する製剤を要指示医薬品に指定し(告示第九六号)、これを同四二年四月一七日から適用した。

(2) 昭和四四年一二月二三日、厚生省薬務局長は、各都道府県知事にあてて、クロロキン、その誘導体又はそれら塩類を含む製剤につき、「本剤の連用により、角膜障害、網膜障害等の眼障害が、……あらわれることがあるので、観察を十分行ない、異常が認められた場合には投与を中止すること。なお、すでに網膜障害のある患者に対しては本剤を投与しないこと、すでに肝障害又は重篤な腎障害のある患者に対して本剤を用いる必要がある場合には、慎重に投与すること。……」等の使用上の注意事項を定めたので、医薬品製造業者、輸入販売業者、薬局及び医薬品販売業者等を指導し、その周知徹底を図るよう通知した(薬発第九九九号)。

(二) <証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

厚生大臣は、昭和三七年以降わが国においてもクロロキン網膜症の症例報告が増加してきた(その時の厚生大臣の認識件数は、同三七年一件、同三八年四件、同三九年二件、同四〇年九件、同四一年八件)ので、放置しておいては被害が増大するとの認識に立ち、クロロキン製剤を劇薬、要指示薬とすべく、遅くとも同四二年の初めごろにその準備に着手し、クロロキン製剤を、慢性毒性の強いもの、すなわち、長期連続投与した場合機能又は組織に障害を与えるおそれのあるもの(劇薬指定規準第二)として、具体的には重篤な網膜障害を伴うとの理由で、劇薬に指定するとともに、使用期間中に医学的検査がなければ危険を生じやすいもの(要指示薬基準第二)として、要指示薬とした。このことは、薬事公報(昭和四二年三月二一日)に掲載され、かつ、薬務局長から各都道府県知事あてに通知(同年三月二七日薬発第二〇五号)された。また前記「使用上の注意事項」については、既に昭和四四年五月一六日の段階において関係メーカー間の折衝で製薬会社側の一応の文案ができていて、その後、医薬品安全性委員会と厚生省側との検討のうえ定められ、これが、後記のとおり被告製薬会社の各能書等にも記載されたのみならず、同四五年二月二一日発行の「日本医事新報」に、スルファミン製剤等の使用上の注意事項(2)Ⅳとして掲載された。

2  能書等における警告の記載

以下の(一)ないし(四)の事実((一)(3)を除く)は、原告らと当該被告製薬会社との間では争いがなく、原告らと被告国との間では、その内各被告製薬会社の昭和四五年五月以降の能書に薬務局長通知にかかる使用上の注意事項と同一の記載がなされた事実について争いがなく、その余の事実は弁論の全趣旨によつてこれを認めることができる。

(一) レゾヒン

(1) 能書

① レゾヒンの昭和三〇年九月発売以降同四二年七月までの能書には、副作用として眼障害の記載はない。

② 昭和四二年八月以降の能書に、初めて「長期連用の際まれに見られる眼障害(角膜症、ごくまれに網膜症)を早期発見するため、三〜六か月おきに眼科的検査を行うことがのぞましい。」と記載されるに至つた。

③ 昭和四五年五月以降の能書の用法・用量の項に、「なお、本剤の連用による角膜障害、網膜障害等の眼障害を防止するため、本剤を長期連用する場合には、三〜六か月おきに眼科的検査を行うことが望ましい。」と記載され、そして使用上の注意として、前記薬務局長通知にある使用上の注意事項と同一記載がなされた。

④ 昭和四八年二月以降の能書になつてからは、更に眼障害の予防の具体的方法が記載されるようになつた。

(2) 二つ折

① 昭和三九年九月以降のレゾヒンの二つ折には、「長期連用中に、かすみ目、強い眼精疲労などの症状があらわれたならば、精密な眼科検査を行なうことが望ましい。かかる症状は、特別に治療を施さなくとも、通常は、休薬によつて消退する。」と記載されている。

② 昭和四〇年六月以降の二つ折には、副作用として「レゾヒンを長期間投与する際にクロロキン剤に共通して、角膜沈着(ごくまれに網膜沈着)が人により生じ、眼精疲労、まぶしさ、かすみ目などの症状を伴う。これらは通常治療中止後四〜八週間で消退する。眼症状を早期に発見するため、長期連用者には三〜六か月おきに眼科的検診を行なうことが望ましい。」と記載されるとともに、使用上の注意として、「長期連用の際、時として見られる眼障害(角膜症、まれに網膜症)を早期発見するため、三〜六か月おきに眼科的検査を行なうことがのぞましい。」と書かれている。

③ そして、昭和四五年二月以降の二つ折には、右②の副作用の記載のほか、前記通知の使用上の注意事項と同一記載が加わつた。

(3) ところで、<証拠>によれば、次の事実が認められる。

前記レゾヒンの昭和四八年二月以降の能書に記載された眼障害予防の具体的方法とは、その原文を摘記すると以下のようなものであつた。

1)本剤の連用により、眼障害〔角膜表層の混濁(可逆性)、網膜変性(非可逆性)〕があらわれることがあるので、次のような注意をはらい、視力障害の早期発見に努めること。

(1)本剤の投与に際しては、次の点を患者に十分徹底させること、

ア、本剤の投与により、ときに視力障害があらわれること、

イ、この視力障害は、早期に発見し投与を中止すれば、可逆的であること、

ウ、この視力障害は、新聞を片眼ずつ一定の距離で毎朝読むことによつて早期に発見できること、

エ、視力の異常に気づいたときは、直ちに主治医に申し出ること、

(2)本剤の投与開始前に、あらかじめ少なくとも視力検査及び外眼検査を実施すること。開始前の検査で異常が認められた場合には、適当な処置を講じたのち、本剤を投与すること。投与中は定期的に眼の検査を行ない、異常が認められた場合には、投与を中止し精密な検査を行なうこと。

なお、簡便な眼の検査としては、次のような方法がある。

ア、試視力表を用いる視力検査

イ、指を用いる視野狭窄検査

ウ、中心暗点計による検査

エ、外眼部の視診

オ、眼底検査

カ、色盲表による検査

2)視力障害は本剤の投与中止後においてもあらわれることがあるので、引き続き観察を行なうことが望ましい。

3)本剤を腎機能障害のある患者に対して用いる場合には、排泄遅延がおこることがあるので、とくに視力障害に注意すること。」

また、レゾヒンの昭和四五年三月以降の二つ折には、「眼障害」として独立の項が設けられ、「本剤による角膜障害は、ほとんど視力障害を伴わず、又、投与中止により自然に消退する可逆性変化であるといわれている。主な自覚症状は虹視(裸電球の周りに虹が見えると訴えるもの)、霧視(眼がかすむと訴えるもの)などであるが、約半数にはこれらの自覚症状があらわれてこない。

網膜障害の発生率は低率であるが、網膜障害は大体において不可逆的と考えられている。しかし最近の見解によると、早期に発見すれば変化は可逆的であり、投与中止により回復する望みがあるといわれている。

網膜症状の初発症状として一般に広く認められているものは、黄斑部の変化および視野における傍中心暗点である。その他ERG、EOQ、色覚検査などが早期診断に有効であるという報告もある。

角膜・網膜症状を早期に発見するため、長期連用の際には、三〜六か月毎に眼科的検査を行なうことがのぞましい。

検査の結果、異常が発見されたならば直ちに投与を中止すること。」

と記載(原文では、傍点部分は太字)されていた。

(二) キニロン

(1) 昭和三六年一二月の発売から同四二年二月までの能書に、「……かなりの用量を一年以上連用すると、視力障害……があらわれることがあります。これらの副作用は一般に治療継続と共に減少することが多く、また副作用が生じても使用継続することが出来る場合が多いので、就寝前に服用するとか……などである程度防ぐことができます。しかし本剤は医師の指導で服用することが望ましい。」と記載されている。

(2) 昭和四二年三月以降同四五年二月までの能書には、「……また稀に視力障害が……あらわれることがありますが、多くは大量に一年以上長期連用した場合にみられるものです。……これらの場合は用量を減ずるか、休薬することにより大部分は容易に消失します。」とある。

(3) 昭和四五年三月以降の能書に、右(2)の外、前記厚生省薬務局長通知の使用上の注意事項と同一の記載がなされた。

(三) キドラ

(1) 昭和三六年一月の発売以降同四二年四月までの能書等に眼障害の記載はない。

(2) 昭和四二年五月以降の能書に、「また本剤を長期に使用する際に定期的に眼症状の検査を行なうことが望ましい。」とのみ記載された。

なお、同年七月以降の製品説明書にも「本剤を長期にわたり使用する際には、定期的に眼科的検査を行なうようにして下さい。」とある。

(3) 昭和四五年三月以降の能書及び同年八月以降の製品説明書に、使用上の注意として、前記厚生省薬務局長通知の使用上の注意事項と同一の記載がされるに至つた。

(4) そして、昭和四七年五月以降の能書には、右(3)の使用上の注意の外、後記の「クロロキン製剤使用時の視力検査実施に関する注意事項」(以下、「視力検査実施事項」と略す。)と同一の記載が加わつた。

(四) CQC

(1) 昭和三八年三月の発売から同四五年五月までの能書には眼障害の記載はない。

(2) 昭和四五年六月以降の能書には、使用上の注意として、前記厚生省薬務局長通知の使用上の注意事項と同一の記載がなされた。

(3) 昭和四七年九月以降の能書には、右使用上の注意のほかに、後記の「視力検査実施事項」と同一の記載が加わつた。

(五) なお、<証拠>によれば、被告小野は、慢性疾患を適応症としてキドラを販売するにあたり、能書上では昭和四七年四月まで、製品説明書上では一貫して、疾患の性質上長期連用が望ましい旨を記載していたことが認められ、また、<証拠>によれば、同被告は、昭和三七年二月ごろまで、医学雑誌である「薬局」、「日本腎臓学会誌」及び「臨床皮膚泌尿器科」にキドラの広告を掲載し、腎疾患に対する「原因療法剤」として推奨するとともに、「長期に連用しても胃腸障害や機能低下のおそれがありません」と宣伝していたことが認められる。次に、<証拠>よれば、被告科研も、CQCについて、昭和四五年六月までの能書及びパンフレットに、長期継続投与が望ましい旨を記載していたことが認められ、同被告が、長期投与が望ましい旨の広告を医学雑誌にくり返し掲載していたことは、前記二2(二)認定のとおりである。

他方、レゾヒン、キニロンの能書には、長期連用を直接勧める文言はないけれども、<証拠>によれば、被告吉富は、レゾヒンの能書において、関節リウマチに関しては、その長期投与によつて本質的な治療効果が期待できるとして、継続投与の必要性を述べていることが認められ、また、<証拠>によれば、キニロンの能書及びパンフレットには、「本剤は遅効性であり、継続服用を必要とすることが多く、時として胃腸障害のために継続困難なことが少なくありませんから、その欠点を補うため、『キニロン錠』は、腸溶性の糖衣錠になつています。しかも……胃腸障害もきわめて少なく、連用による充分な治療効果が期待できます。」と冒頭に記され、そして、用法・用量欄では、リウマチ様関節炎については継続投与の必要が、エリテマトーデスについては一か年又はそれ以上の継続投与で再発を防止することがそれぞれ記述されていたことが認められる。

3  被告製薬会社の「クロロキン含有製剤についてのご連絡」と題する文書の配布

<証拠>によれば、前記厚生省薬務局長通知に基づき薬事関係者に行政指導が行われたにもかかわらず、その後の副作用調査の結果で(中央薬事審議会医薬品安全対策特別部会の会長名で、昭和四七年二月五日各モニター病院に対しクロロキン製剤の副作用を同年三月一五日まで報告するよう依頼したところ、この間に一四件のクロロキン網膜症の報告があつた。)、厚生省当局はクロロキン網膜症がなお増えていると認識し、中央薬事審議会の副作用調査会に諮つて、次のような「視力検査実施事項」を定め、クロロキン製剤を製造販売している被告吉富、同住友、同小野及び同科研外一二社を指導し、右各社連名の、右「視力検査実施事項」を記載した「クロロキン含有製剤についてのご連絡」と題する文書一二万通を作成させ、これを各社の関係医療機関等に送付させるとともに、昭和四七年四月二〇日発行の「日医ニュース」に「―医家に謹告―」なる見出しの下に右文書の内容を掲載させたことが認められる。

「視力検査実施事項」の内容は次のとおりである。

(一) 本剤の連用により、眼障害〔角膜表層の混濁(可逆性)、網膜変性(非可逆性)〕が現れることがあるので、用法・用量に注意し、次の(1)の要領による検査を投与前および投与中定期的に実施し、視力障害の早期発見に努めること。もし異常が認められた場合には、直ちに投与を中止し、適当な措置を講ずること。

(1) 眼の検査には次の方法がある。

ア、試視力表を用いる視力検査

イ、指を用いる視野狭窄テスト

ウ、中心暗点計によるテスト

エ、外眼部の視診

オ、眼底検査

カ、色票による判別テスト

なお、視力検査は投与前から必ず実施し、その他の検査についても、できるだけ実施することが望ましい。

(2) 本剤の投与中は、以上の検査に加えて患者に毎朝新聞を一定の距離で片眼ずつ見させて、視力の異常に注意させること。

(二) 視力障害は本剤の投与中止後においても現れることがあるので、引続き観察を行うことが望ましい。

(三) 本剤を腎機能障害のある患者に対して用いる場合には、排せつ遅延が起こることがあるので、特に視力障害に注意すること。

五被告製薬会社の注意義務違反

1  本件における原告ら患者は、ネフローゼ症候群(原告加藤奉栄)、全身性エリテマトーデス(原告安田キミ)及び慢性腎炎(その余の者)の治療のため、クロロキン製剤を服用したものであり、現実にその服薬はいずれもきわめて長期にわたつている。事前に特段の警告のない限り、このような慢性疾患の治療にあたる医師が、クロロキン製剤の投薬を長期間継続することは、当然予想されることであり、まして、製薬業者からもたらされる能書その他により長期連用を勧められていれば、その臨床上の使用は、当然安易に長期化することを免れない。なお、能書等において、継続投与の必要性が関節リウマチ、エリテマトーデスについて述べられていても、同様の慢性疾患で、発生機序も類似すると考えられる慢性腎炎についても、同様であると受取られるであろう。

そして、前記再評価以前の知見において、クロロキン製剤の慢性腎炎に対する有用性が否定できなかつたとしても、その副作用であるクロロキン網膜症が重篤かつ不可逆的なものであることに鑑み、製薬業者は、とくに長期大量投与を防ぐ見地から、その時々の最高の科学水準に基づいて、副作用に関する最大限の警告を臨床医家及び患者に与えなければならないものというべきである(なお、このような危険性のある薬剤を、患者が、医師の指示によらず、自己の判断で購入し服用し得る状態となつていたことも、それ自体問題であり、前記四1(一)(1)の劇薬、要指示医薬品指定はこれに対処したものである。)。

そこで、被告製薬会社は、クロロキン網膜症の存在を予見し得た昭和三五年一月ごろ以降、又は、遅くともその発生の危険性を実際に認識した時において、その製造、輸入又は販売するクロロキン製剤につき次のような措置を講ずべき義務があつたと解すべきである。

すなわち、医師、患者らに対し、まず第一に、

(一)  人によつては、長期連用するとクロロキン網膜症に罹患するおそれがあること、

(二)  クロロキン網膜症の重大性、すなわち、失明又は失明に近い状態に至る重篤かつ不可逆の障害で、発症すれば治療の方法がいまだないこと、

を警告し、その発症の危険性と重篤性を十分に認識させ、それにもかかわらず医師をして原疾患治療の必要上やむを得ず投与するか否かを、また患者においてはその危険を受け入れるか否かを、各自熟慮する機会を与え、更に、投与、服用が原疾患の治療上やむを得ないと判断される場合であつても、

(三)  不必要かつ漫然たる長期大量の投与、服用は絶対避けるべきこと、

(四)  服用の前後を問わず、定期的な専門家による眼科検査を必ず行うこと、

(五)  何らかの眼の異常を自覚し、又は検査で異常が発見された場合(角膜の異常が生じた段階でも)、直ちに投与、服用を中止すべきこと、

等を的確に指示し、この警告、指示を法定の添付文書である能書に記載するのは当然のこと、その他適切な手段方法で医師及び患者らに確実に伝達すべきであつた。

そして、被告製薬会社が、右のようにして副作用を伝達すべき義務を尽くしていなかつた場合に、クロロキン網膜症が発生したときには、可能な手段を尽くしてもなお障害の発生を妨げ得なかつたであろうという特段の事情が存在することが明らかにされない限り、義務違反と結果発生との間に因果関係が認められてもやむを得ないというべきである。

2(一)  被告吉富及び同武田は、昭和三六年初めごろには、クロロキン網膜症の存在を知つていたものと認められ、他方、原告ら患者中レゾヒンを服用したのは、原告所ひさゑが昭和三五年三月一二日から同三八年二月ごろまで(薬局購入のものを含む。)、亡平木米吉が同三九年一月四日から同四三年九月三〇日までであるが、前記のとおり、レゾヒンの同四二年七月までの能書、同三九年八月までの二つ折には眼症状の記載は全くなく、同年九月以降の二つ折には、かすみ目や強い眼精疲労などの症状が現われた場合には、精密な眼科検査を行うことが望ましい旨記載されたものの、網膜障害の記載はなく、同四〇年六月以降の二つ折及び同四二年八月以降の能書に初めて、長期連用の際まれに網膜症が現われるとの記載がなされたが、なお網膜症の重大性は何ら述べられず、かえつて、二つ折では一過性であるごとく述べられ、一方で継続投与が当然であるかのような記載になつていたのであり、以後、同四五年二月の二つ折及び同年五月の能書までは、それ以上の警告はなかつた。

(二)  被告住友及び同稲畑は、キニロン発売当時、クロロキン網膜症の存在を認識していた。原告鈴木征二は、昭和四〇年九月ごろから同四七年二月七日までキニロンを服用(キドラを併用)したのであるが、キニロンの同四二年二月までの能書には、一年以上の連用により視力障害が生ずることを記載したのみで、視力障害の態様、程度等については全く記載がなく、むしろ、視力障害が起きても使用を継続することを勧めるような文言になつており、その後同四五年二月までの能書も、視力障害の内容、態様については依然触れず、視力障害が生じた場合には減量又は休薬することを勧めているものの、容易に回復し得る程度のものと解される記載をしていたもので、クロロキン網膜症への警告としては意味のないものであつた。昭和四五年三月以降の能書には、前記薬務局長通知にかかる使用上の注意事項と同一の記載をしていたのであるが、同記載は、連用により角膜障害、網膜障害等の眼障害が現われることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止するようにとの注意をするのみで、網膜障害の具体的態様その結果等については触れるところがなく、副作用警告としてなお不十分であつたというべきである。結局、クロロキンによる網膜変性が非可逆的であり、かつ、投薬中止後にも現われることがある旨を示したのは、昭和四七年四月の製薬会社連名による「視力検査実施事項」の配布とそれの日医ニュースへの掲載であつたが、その時には、原告鈴木征二の六年半にわたるキニロンの服用は終わつていたのである。

(三)  被告小野は、昭和三六年五月ごろには、クロロキン網膜症の存在を知つていた。他方、原告加藤奉栄は同四〇年一〇月ごろから同四二年八月ごろまで、原告鈴木征二は同四〇年九月ごろから同四七年二月七日まで(キニロンを併用)それぞれキドラを服用した。そして、キドラの昭和四二年四月までの能書等には眼障害の記載はなく、同年五月以降の能書及び同年七月以降の製品説明書には、単に定期的な眼科的検査を勧めるのみで、眼症状については説明はなかつた。そして、昭和四五年三月以降の能書が十分な警告ではなかつたこと、同四七年春の「視力検査実施事項」の配布等が、右原告らの被害を回避し得なかつたことについての説明は、前記(二)と同じである。

(四)  被告科研は、CQCの発売当時、クロロキン網膜症の存在を認識していた。原告ら患者の内、CQCの投与を受けたのは、原告鈴木征二が昭和四〇年八月二五日から同年九月一四日まで、原告三田健雄が同四六年一二月一七日から同四八年四月六日まで、原告安田キミが同四一年九月二二日から同四三年四月二四日までである。そして、CQCの昭和四五年五月までの能書には眼障害の記載がなく、かえつて、長期継続投与が望ましいものとし、同年六月以降の能書には、前記薬務局長通知にかかる使用上の注意事項と同一の記載がなされたが、これもなお警告として不十分なものであつたことは、前記(二)と同一である。したがつて、原告安田キミの服薬中は何ら副作用の警告はなかつたのであるし、原告三田健雄に対する関係でも、その服薬開始時には、未だ十分な警告はなかつたのであり、ただ、同四七年四月の製薬会社連名による「視力検査実施事項」の配布、その「日医ニュース」への掲載及び同年九月以降のCQCの能書への同一事項の記載によつて、ひとまず警告義務は果たされたと解する余地はあるが、右「視力検査実施事項」が日医ニュースによつて一般開業医にも伝えられたと一応考え得る同年四月末ごろ(実際には徹底していなかつたから、その後も原告三田健雄への投薬が続けられたのであろうが)には、原告三田健雄は既に約四か月半CQCを服用していたのであり、その期間は決して短期とはいえず、その時点で投薬が中止されたとしても、同原告がクロロキン網膜症の罹患を免れ得たと推測すべき根拠もないので、右の時点まで副作用の警告を怠つたことと同原告の障害発生との間には、因果関係を認めることができるものというべきである。

他方、原告鈴木征二についてCQCが投与されたのは副作用の警告が全くなかつた時期であり、ただ、投与を認定し得る期間、量は、二一日間一二六錠のみであつて、CQCのみでクロロキン網膜症を発生させるに足りるほどの量であつたとは考えられず、その後のキニロン、キドラの長期服用が大きな影響を生じたものと認められるが、このように一社の薬剤単独では被害を生じさせるに足りなくとも、他社の同種薬剤を合わせた全量によつて被害を生じさせた場合には、各社がともに責任を免れないものというべきであり(のみならず、前記認定によれば、初めにCQCを投与したことが以後同様のクロロキン製剤を使用させる契機ともなつた可能性がある。)、原因の少部分に関与したにすぎない者の責任は、寄与の程度に応じて、損害額の分担について考慮するのが相当である。

六故意・過失

1  法人の不法行為責任

原告らは、被告製薬会社について、企業活動それ自体を不法行為として、民法七〇九条により直接法人に責任を認めるべきであると主張する。

しかし、社会的にみて、一個の企業意思の実現としての法人自体の活動といい得るものであつても、法人内の意思決定権限を有する機関によつて意思決定がなされ、それが代表機関の行為によつて対外的に顕現され、あるいは企業を構成する個々の被用者の行為の集積によつて実現されていくものである。しかも、不法行為の主観的構成要件たる故意又は過失は自然人の精神的容態であり、民法は、法人の代表機関が職務を行うについて故意又は過失により他人に損害を加えたときは民法四四条一項(株式会社にあつては、代表取締役につき商法二六一条三項、七八条二項による準用)により、代表機関以外の構成員(被用者)が業務の執行について故意又は過失により他人に損害を加えたときは民法七一五条一項により、それぞれ法人が損害賠償責任を負うものと定めて、自然人である代表者、被用者の故意過失を要件として法人が責任を負うこととしているとともに、民法四四条一項に基づく責任と同法七一五条一項に基づく責任とでは、要件、効果を異にしているのである。そのほかに、法人自体の民法七〇九条による直接の不法行為責任が成立するものとすると、その要件、効果、更に右の民法の規定に基づく二種の責任との相互の関係について、困難な問題が生ずることとなるが、そのようなことは、民法のおよそ予定していないところというべきであるし、また、それを認めないと被害者の救済が困難であるという実際上の必要性があるとも考えられない。

したがつて、原告らの主張は、実定法上の根拠を欠くものであつて、採用することができない。しかし、原告らのいう企業自体の不法行為とは、被告製薬会社を代表して行為する各代表取締役の職務を行うについての故意過失による加害行為に帰するものと解することができ、原告らの主張も、商法二六一条三項、七八条二項、民法四四条一項に基づく請求をもする趣旨を含むものと解されないではないから、以下その趣旨で判断を進めることとする。

ところで、本件において被告製薬会社の義務とされる医薬品の副作用についての調査研究は、実際には、社内の研究担当者や委託研究機関によつて行われるのが通常であろうが、適切な調査・研究を命じ、そのために必要な人的・物的の組織、態勢、設備を整備する等のことは、代表取締役の責任によつてなされるべきことであつて、それらについて十分な措置が講じられていないときには、補助者の誤つた作為、不作為は、特段の事情のない限り、代表取締役の故意・過失を推定させるものであり、また、予見される副作用を回避するために、能書等の改訂による副作用警告を発し、更には製品の製造・販売を暫定的又は永久的に停止する等の措置は、最終的には代表取締役の判断によつて決定され、その行為によつて実現される性質のものであるから、予見し得る副作用を回避するために適切な措置が講じられなかつたときは、特段の事情のない限り、代表取締役に右の不履行についての故意・過失が認められるものというべきである。

2  故意責任

原告らは、被告製薬会社の故意を主張するところ、被告製薬会社の各代表取締役は前記各時点でクロロキン網膜症発生の可能性を認識していたものではあるが、医薬品が常にその効用とその反面としての副作用の危険とを内包しているという性質に鑑みれば、単に副作用発生の可能性を認識していたというだけでその故意責任を肯認することはできず、故意責任があるというためには、副作用の結果発生を意図していたか又は少なくともそれを認容していたことを必要とするものと解される。しかし、全証拠によつても、被告製薬会社の各代表者が、クロロキン網膜症の発生を意図してことさらに副作用情報を秘匿したか又は同症の発生を認容して警告の措置を講じなかつたものであることを認めることはできない。なお、この点の作為又は不作為が被告製薬会社の被用者の故意に起因することを認めるに足る証拠もない。

3  過失責任

既に判示したとおり、被告製薬会社の各代表者は、クロロキン製剤によりクロロキン網膜症が発生する場合があることを予見することができ、また実際に予見していたのに、これについての調査・情報収集を怠り、また、同剤の使用者に対する副作用情報の伝達を怠つたものである。そして、前記認定の同症についての知見の状況、被告製薬会社の対応、原告ら患者の服薬の時期等を総合すると、被告製薬会社が、その時々における最高の科学水準に基づく副作用情報を提供していたならば、原告ら患者のクロロキン網膜症の発生を防止し又は少なくともその障害の程度を軽減し得たものと認められる。そうすると、被告製薬会社の各代表者の職務を行うについての過失によつて原告ら患者が重篤なクロロキン網膜症に罹患したものと認められるから、被告製薬会社は、商法二六一条三項、七八条二項、民法四四条一項の規定に基づき、損害賠償責任を負うものというのが相当である。

4  被告製薬会社の共同不法行為

(一) 被告吉富は、その輸入・販売にかかるレゾヒンについて、前記過失により、クロロキン網膜症の的確な情報の収集、伝達、警告を怠り、被告武田も、同じく過失により右措置を講ずることなく、レゾヒンを国内で一手に販売し、そのため、原告所ひさゑ及び亡平木米吉をクロロキン網膜症に罹患させたものであるから、右被告両名の所為は共同不法行為に該当する。

そして、このことは、キニロンを製造した被告住友とこれを国内で一手販売した被告稲畑との、原告鈴木征二に対する関係についても、同様である。

(二) 原告鈴木征二は、CQCを単独で、次いでキニロン、キドラを同時に服用したものであり、そのクロロキン網膜症罹患も、被告住友、同稲畑、同小野及び同科研の過失に基づくものと認められる。そして、被告製薬会社は、同一疾病の治療薬として、基本的には同じ性質のクロロキン製剤を製造、販売したものであるから、同一人に対して自社製品と続けて又は同時にクロロキン製剤が投与されることがあり得ることをも各自予見し得たものというべきであり、したがつて、右各被告らの所為も共同不法行為にあたるものと解される。なお、これについて、単独ではクロロキン網膜症を発生させるに足りない程度の量が投与されたにすぎない薬剤の製造者(すなわち、被告科研)も責任を免れるものではないことは、前記説示のとおりである。

第六被告国の責任

一薬事法の目的及び性格並びに反射的利益論の当否

1 薬事法(旧法と現行法―昭和五四年法律第五六号による改正前のもの―とで大差はないと考えられるので、以下、現行法を中心に述べる。)は、憲法二五条に基づき公衆衛生の向上及び増進に努めるべき国の政治的責務の実現のために制定された法律の一つである。

ところで、薬事法は、右の「公衆衛生の向上及び増進」を達成するための法技術的手段として、直接個々の国民の衛生を対象とせず、「医薬品……に関する事項を規制し、その適正をはかる……」(一条)と規定しているように、医薬品という物質を中心としてその取扱う関係業者等に対する各種規制(取締)によつて、公衆衛生、すなわち国民の生命・健康の維持・増進を図るという建前を採用している。そして、その主要な取締規制である薬局方収載外医薬品の製造承認(一四条)、医薬品製造業、輸入販売業の許可(一二条、二二条。なお旧法の薬局方収載医薬品の製造業、輸入販売業の登録((二六条一項、二八条))。)、薬局開設の許可(五条)及び販売業の許可(二六条、二八条、三〇条、三五条)等は、いずれも、いわゆる講学上の「許可」に該当し、一般的な禁止の解除と解されるから、薬事法は、基本的には警察取締法規としての性格を有しているものと見ざるを得ない。しかも、その取締規制は、憲法二二条一項の定める職業選択、職業活動の自由保障の要請とのかねあい上、薬事法七五条、七九条の規定から窺われるように、消極的な取締を念頭に置いているものというべきである。

2 薬事法の性格が前示のようなものであるとすれば、同法の定めるところにより厚生大臣の行う薬事行政も、基本的には消極的な警察取締作用と観念し位置づけざるを得ない。しかし、その作用の究極的な目的は、あくまでも国民の生命、健康に対する危険を防止し、その維持増進を図ることにあることは否定できないし、真の意味での国民の生命、健康の維持増進というものは、社会を構成する個々の国民のそれなしにはあり得ないはずであつて、両者がいわば表裏一体の関係にあり、両者あいまつて初めて公衆衛生の向上、増進に資すると解されるうえ、厚生大臣の承認、許可等の法的規制を受け、そして現に薬事法上の種々の規制(例えば、販売方法の制限―三七条、医薬品の取扱規制―五〇条ないし五八条、九四条、広告方法の制限―六六条ないし六八条、行政庁による監督―六九条ないし七七条等)の下に流通している医薬品を使用する者は、抽象的な「国民」一般ではなく、まさしく個々人の国民でしかあり得ないから、薬事法に基づく医薬品の適正な規制によつて個々の国民の受ける利益は、単なる反射的な利益ではなく、国家賠償法上保護された法的利益に該当するものと解するのが相当である。

したがつて、誤つた規制のもとに流通に置かれた医薬品を個々の国民が使用することにより生命、健康が害された場合において、その規制の誤りが厚生大臣の故意、過失に基づく薬事法上の義務違反と評価されるものであるときは、その義務違反と生命、健康の侵害との間に相当因果関係が認められる限り、国は、国家賠償法一条によつてその被つた損害を賠償する義務があることは当然である。

二医薬品の安全性確保に関する厚生

大臣の権限と責務

1 薬事法には、医薬品それ自体の安全性の確保に関し厚生大臣の具体的な権限及び責務を定めた明文の規定は全くない。

すなわち、同法によれば、日本薬局方は、医薬品の「性状及び品質」の適正を図るため、厚生大臣がこれを定めて公示するものであり、これに収める医薬品の収載基準も、日本薬局方第一部には主として繁用される原薬たる医薬品及び基礎的製剤を、同第二部には主として混合製剤及びその原薬たる医薬品を収める旨規定されているのみである(四一条一、二項)。保健衛生上特別の注意を要する医薬品についても、厚生大臣は、その「製法、性状、品質、貯法」等に関し必要な基準を設けることができるにすぎない(四二条一項)。また、厚生大臣は、薬局方外医薬品の製造承認の際にも「その名称、成分、分量、用法、効能、効果等を審査し、品目ごとにその製造についての承認を与える」ものとされているのみである(一四条一項)。もとより特定の医薬品に対する薬局方収載後又は製造承認後における副作用の調査追跡に関する規定もなければ、現に販売されている医薬品に重大な副作用のあることが新たに判明した場合に厚生大臣のとりうる措置についての規定も欠けている。

すなわち、薬事法は、医薬品の安全性については、第一次的には、医薬品を製造・販売する製薬業者及びこれを使用する医師の判断に委ね、一応効果についての医学的裏付があり、とくに顕著な副作用が認められるものでない限り、薬局方に収載しあるいは申請に基づき製造承認を与えるものとし、製造・販売開始後に副作用が判明したときも、それへの対応はまず製薬会社、医師等の処置にまち、厚生大臣が自ら積極的に規制の措置をとることは、予定していないと解される。

ところで、医薬品は、本来生体にとつては異物であり、その目的とする効果とともに副作用もあり、両者は「両刃の剣」のような関係にあるし、選び方、使い方、使う量を誤れば毒でしかなく、そのうえ、いかに開発段階で十分な試験を経ても、ある副作用をその段階で知り得ないこともありうるものである。

そしてまた、特定の化学物質又は生物学的物質の医薬品としての価値は、時代時代における医学薬学等の自然科学の進歩発展と密接に結びついているのであるから、ある医薬品の評価(効果、医療上の必要性の程度、副作用の有無、種類、程度、有用性等)は、決して一義的で固定的なものではなく、多かれ少なかれ、進歩発展する医学薬学等の自然科学的知見と無関係ではありえず、右評価はその時代の自然科学的知見と歩調を共にするものと解せられる。薬事法が、厚生大臣に対し、少なくとも十年ごとに薬局方の全面にわたつて中央薬事審議会の検討が行われるように、その改定について同審議会に諮問すべきことを義務づけている(四一条三項)のは、右評価の科学的進歩発展に基づく変遷性を同法が薬事行政に反映させようとしていることの一つの表われと言えよう。

薬事法が自らその規制対象とした医薬品は、以上のような特性を有している。したがつて、薬事法の解釈及び薬事行政は、医薬品のこのような特性に対応してなされることを、法は期待しているというべきであろう。

2  安全性確保のための調査義務と調査権

以上のように見てくると、薬事法は、医薬品の性状及び品質面での安全性の確保を主目的とするだけでなく、付随的ながら医薬品の人体に及ぼす作用面での安全性の確保をも目的としているものと解されるので、後者の面での安全性について同法は厚生大臣が無関心であつてよいとは決して考えていないものと思われる。

日本薬局方には、収載医薬品の性状、品質、貯蔵法等の基準のみならず、当該医薬品の、例えば「常用量」も定められているが、これは、すなわち成人がその量を服用すれば効果があることを示す反面、それを超えると人体に有害な場合があり得ることをも同時に示しているといえるし、また、医薬品の製造承認の際に、厚生大臣は、用法、用量、効果、効能等を審査するのであるが、用法、用量の適否は、申請にかかる適応に対する効果発現の点に配慮して審査が行われるべきであることは当然のことながら、それと同時に、むしろ必然的に、その用法、用量における人体に対する副作用等の危険の有無をも考慮して判断されねばならないはずである。現に、<証拠>によれば、厚生省当局も、製造承認申請の際に申請者に提出を義務づけている臨床実験に関する資料は、「申請品目が実際に応用されて如何なる効果、あるいは如何なる副作用を示すかを明らかにするもので効果判定に際して重要な資料である。」と説明している(厚生省薬務局監修「医薬品製造指針」昭和三七年度版及び同四一年度版)ことが認められる。要するに、医薬品というものの性質上、その承認の際には、効能、効果ばかりでなく、その副作用の有無等も必然的に審査せざるを得ないのである。

もつとも、先に述べたような薬事法の消極的な警察取締法規性並びに同法が医薬品それ自体の安全性の確保に関する厚生大臣の具体的な権限及び責務を明文をもつて規定していないことに鑑みると、薬事法は、厚生大臣に対し、特定の医薬品を日本薬局方に収載し、又はその製造の承認を行うにあたり自ら積極的に資料を収集して当該医薬品の一般に知られていない副作用の有無、程度等を調査する義務や、薬局方収載又は製造承認済みの医薬品について副作用の追跡調査を行う義務等を課してはいないものと解するのが正当であつて、昭和五四年法律第五六号による改正後の薬事法の安全性に関する新たな諸規定(一条、一四条二項、一四条の二及び三、七二条の二等)と対比するとき、なおさらそのように解せざるを得ない。

そうだとすると、薬事法は、厚生大臣に対し、薬局方外医薬品の製造承認を行うに当たり自ら当該医薬品の安全性の調査確認のため資料を収集する義務を課することはなく、ただ申請の際に提出された基礎実験、臨床実験に関する資料に基づき、それによつて当該医薬品の有効性、副作用の有無等を、そして最終的には有用性を審査し、承認の可否を決すれば足りるとしているものと解せられるが、しかし、やはり右の限度では安全性の有無に関し審査する義務はあるといわざるを得ないし、そうであるならば、厚生大臣に対し、少なくとも承認申請についての審査に必要な限度で、安全性の確認及び確保のための調査権限(例えば、安全性に疑義がある場合、申請者に釈明を求め、必要な実験資料等の提出を促したり、命じたりする権限)は当然付与されているものと解すべきであろう。

3 次に、薬局方収載時又は製造承認時に知られていなかつた副作用が後日判明した場合については、厚生大臣の規制の権限を定める明文の規定はない。

もつとも、厚生大臣は、中央薬事審議会の諮問を経て日本薬局方を改定する権限を有し、かつ、日本薬局方への収載にあたつて副作用の存否をも審査することができるとすれば、収載後に副作用が判明した場合にも、それを理由に薬局方を改定することは可能というべきであり、したがつて、厚生大臣は、その副作用を知つた時に(前述のとおり、厚生大臣には安全性の追跡調査等の義務はないから、「知つた時」とは文字どおり事実上認識した時と言わざるを得ない)、改めてその副作用の重篤度、発生頻度等を加味したうえで当該医薬品の有用性を再評価し、その有用性が否定される場合には、これを日本薬局方から削除することができると解される。また、副作用の発生を理由とする製造承認の全部又は一部の取消(撤回)が可能かどうかは問題であるが、これを肯定する余地はあろう。また、法律上明示された措置としては、毒薬・劇薬の指定(四四条)、要指示医薬品の指定(四九条)が、限られた範囲でではあるが、副作用防止の効果をもち得る措置である。

ところで、厚生大臣は、一面において、国民の生命・身体の安全を図り、公衆衛生の維持増進に努め、そのために必要かつ適正な行政措置をなすべき一般的責務を負い、他面において、医事・薬務行政を所管し、製薬業者に対する各種の許認可権限を有する行政庁として、個別の根拠規定の有無にかかわらず、製薬会社の行う医薬品の製造・販売に関し随時指導勧告をなし得る立場にある。わが国において、このようないわゆる行政指導は、一般に、法律上の強制力はなくとも、多くの場合に事実上受け入れられ、その趣旨に則つた結果が実現されていることは、顕著な事実である。

もとより、いわゆる行政指導は原則として行政庁の裁量に委ねられているばかりでなく、このような法令上直接の根拠規定を欠く指導勧告は、製薬業者の営業の自由等とのかねあいから、慎重かつ控え目になされるべきであつて、行政権力が正当な理由なく妄りに私人の行為に容啄し掣肘を加えることは厳に戒しめられるべきことであるが、医薬品に関し国民の健康に被害を及ぼす危険性が顕著となり、それにもかかわらず製薬業者自らが何らの対策もとらずに放置しているような場合にまで、厚生大臣が手を拱いていることは、前記のような国民の健康保持の目的のために適正な行政措置をなすべき責務にもとるものであつて、状況如何によつては、厚生大臣が製薬業者に対し被害回避のため必要最少限度の指導勧告をなすことが、国民に対する義務でもあり、それを怠るときは損害賠償義務を負うこととなる例外的な場合があるものというべきである。

三医薬品の安全性に関する厚生省の対応

クロロキン製剤についていえば、前記認定の昭和四四年一二月の使用上の注意事項に関する厚生省薬務局長通知、同四七年四月の「視力検査実施事項」の作成、配布の指示は、右二3で述べた指導勧告にほかならず、これらは、クロロキンの副作用対策の過程において重要な意義をもつものということができる。

ここで、医薬品全般に関する厚生省の安全性対策を概観する。

<証拠>を総合すると、以下の事実が認められる。

1  いわゆるサリドマイド事件は、世界的に薬害に対する関心を高めるに至つた。わが国においても、厚生省が昭和三七年六月からサリドマイドの対策を検討してきたが、その結果他の医薬品についても安全性に心配が生じた。そこで厚生大臣は、同三八年三月その諮問機関である中央薬事審議会に対し医薬品の安全性確保の方策について諮問し、その意見に基づき医薬品の安全性確保のための専門部会として、同年三月八日中央薬事審議会に専門委員三〇名をもつて構成される「医薬品安全対策特別部会」が設置された。同年三月一九日開催のその第一回部会で、特に医薬品の胎児に及ぼす影響が取り上げられ、新医薬品については胎児への副作用も併せて考慮すること、新医薬品以外の医薬品については、その副作用に関する情報の収集、評価を行つて対策を検討するとともに、諸外国との連絡を密にすること等が審議答申された。

この答申を受けて、厚生省では、同年四月以降原則としてすべての新医薬品の承認に当たつて、従来の基礎実験資料に加え、当該医薬品の胎児に及ぼす影響を考慮するために、一定の基準による動物実験成績をも申請者に提出させることにした(昭和三八年四月三日厚生省薬務局長通知、同四〇年五月二八日同局製薬課長通知)。

2  国家行政組織法上の行政機関の一つであり、かつ薬務行政をも掌握する厚生省の当時の内部組織、機構を見ると、薬務局の製薬課が医薬品(生物学的製剤及び衛生材料は除く。)の製造業の許可及び製造の承認の事務を、同局企画課が医薬品の輸入販売業の許可及び輸入の承認の事務を、同局監視課が不良又は不正表示の医薬品や医薬品の広告等の取締に関する事務をそれぞれ所掌していた(厚生省組織令((昭和二七年政令第三八八号))参照)。そして、昭和三八年以降、医薬品の安全対策に関する事務は、事実上薬務局製薬課が中心となつて掌握してきた。かくして、昭和三八年には各種医薬品安全対策費の予算を計上し、同四〇年度予算として、国立衛生試験所に毒性研究部の新規施設費約七〇〇〇万円、製薬課に医薬品の副作用調査費一一〇万円等が認められるに至つた。

ところで、右厚生省組織令は昭和四六年に一部改正され、薬務局製薬課は製薬第一課と製薬第二課に分かれ、製薬第二課が「医薬品の効能、効果及び副作用に関する調査を行なう」(同令三五条の三)と定められた。更に昭和四八年にも同令の一部改正があつて、製薬第一課が「審査課」と、製薬第二課が「安全課」と各改称され、安全課が「医薬品の効能、効果、性能及び安全性に関する調査を行なう」(同令三五条の二)と定められた。

3  昭和四一年一二月には、増大する医薬品の副作用について対処するため、医薬品安全対策特別部会の下部組織として、九名の専門家で構成される「副作用調査会」が設置され、同調査会で、後記の副作用モニターによつて収集された情報を評価するのみでなく、WHOや諸外国からの通報等従来のルートによる情報も含め、医薬品の安全性に関する全般的な問題が審議されることになつた。

かくして、同年一二月一六日に開かれた右調査会の第一回会議で、医薬品副作用調査の実施等について検討がなされ、その審議などを経て、WHOの昭和四〇年五月二〇日の決議(加盟国が国内医薬品モニタリング制度を実施するよう求めた決議)を受け入れ、同年度に予算も認められて、同四二年三月からわが国でも国内における副作用モニター制度が実施される運びとなつた。

更に同年九月、厚生省は、いわゆる「医薬品の製造承認等に関する基本方針」を定め(同年九月一三日厚生省薬務局長通知)、これによつて新医薬品の製造承認申請の際に添付する必要のある資料内容の強化とその細部にわたる明確化を図るとともに、新医薬品について、その製造承認を得た者は、現行法七九条の条件としてその後二年間当該医薬品の使用の結果生じたとみられる副作用に関する情報の収集とその報告を義務づけることとなつた(なお、右期間は、その後改められ、昭和四六年六月以降は三年間となつた)。

4  以上の組織、制度面での改革で医薬品の安全性に対処するかたわら、厚生省は、昭和四二年ごろまでに、個々の医薬品の安全性についても、関係業者等を指導勧告するため以下のような措置を講じた。

(一) 薬務局長は昭和二六年六月二六日、グアノフラシン点眼剤の副作用(まつ毛及び眼瞼皮膚の白変)の発生を断つ必要があると認め、関係業者に右点眼剤の製造中止、製品回収を指示するとともに、一般人、医師等に対しても注意喚起の措置をとるよう各都道府県知事あてに通知した。

(二) 医務局長及び薬務局長は昭和三一年八月二八日、ペニシリン製剤の副作用(ショック死)の防止につき必要な注意事項を定めて、これを関係業者等に指導するよう各知事あてに通知した。

(三) 薬務局長は昭和四〇年二月二〇日、アンプル入りかぜ薬(ピリン系製剤)の服用者の死亡事故が続発したため、各知事にあてて、その関係業者に対し、アンプル入り医薬品等の使用に当たつては特に副作用による事故防止のため、表示、能書等の添付文書にアレルギー体質者がこれを服用しないよう赤字等で分かりやすく記載すること等の措置をとることの指導を、薬局及び販売業者に対し、一般消費者に販売するに当たつては特にアレルギー体質の有無、添付文書の熟読、用法・用量の厳守等の使用上の注意事項を十分解説して販売することの指導をそれぞれ行い、かつ一般消費者に対する広報活動をするよう通知した。しかし、それでも死亡事故が続いたので、薬務局長は、同年二月二三日各知事にあてて、同剤につき明確な学問的結論が出るまでの間、社会不安を除去する緊急処置として、製薬業者に対し同剤の一般消費者への販売を自粛することに協力方を指導するよう通知し、同時に同日付けで東京医薬品工業協会にも同旨のことを申し入れ、更に同年三月一日各知事及び右協会あてに、右自粛方を要望したにもかかわらず実効がないこと、この際その趣旨を再確認して製品の回収及び返品を配慮されたい旨通知した。

そこで、関係業者は協議の結果同年三月三日右要望に協力することになり、同年三月九日、日本製薬団体連合会の名義で厚生大臣に対し右回収に伴う経済的損失の救済等を要望した。

そして、厚生省は、同年五月七日中央薬事審議会の意見に基づき、アンプル入りかぜ薬の製造、販売を禁止する措置をとつた。

(四) 薬務局長は昭和四〇年一一月九日、各知事にあてて、前述のアンプル入りかぜ薬と類似成分のアンプル入り解熱剤(身体が弱つている時に服用するとショック死する危険性がある。)につき、関係業者に対しその製造を直ちに中止すること、市販中の同剤は昭和四一年三月まで売つてもよいが、この場合、かぜの際の解熱剤に用いてはならない旨の注意書を添付すること、昭和四一年三月以降は速やかに同剤を回収することを指導するよう通知した。

(五) 薬務局長は昭和四〇年一一月一八日、メクリジン、クロルサイクリジン、サイクリジン及びその塩類を含有するすべての製剤(船酔い止めの薬品)について、WHOの医薬品情報№5(動物実験の結果で催奇形作用のあることが判明し、FDAは、同剤を妊娠又は妊娠可能な婦人が服用すると胎児に有害な作用を及ぼす危険性があるとして、医師の監督がなければ使用してはならない旨の警告を発したという情報)に基づき、各知事にあてて、同剤の容器もしくは被包又は添付文書に、使用上の注意として「妊娠又は妊娠の可能性のある婦人は、この薬の服用については必ず医師と相談すること」という事項を明確に記載すること、既に出荷されている当該医薬品については、速かに、その販売に当たつては右注意事項を記載した文書を併せて交付できるよう措置することを製造業者等に指導し、また販売業者にも販売の際には同旨の注意を行うことを指導するよう通知した。

なお、その当時米国でも我国においても、実際には同剤による被害は発生していなかつた。

(六) 厚生省は、精神科の医師等から甲状腺製剤(シロキシン製剤で、本来は甲状腺治療薬であるが、これをやせ薬として使用)の副作用として頭痛、めまいの外に重篤な精神分裂や躁うつが発症する旨の情報を入手したので、検討の結果、厚生大臣は昭和四一年二月一二日乾燥甲状腺、ヨウ化カゼイン、ヨウ化チロジン、ヨウ化チロニン、ヨウ化レシチン及びそれら誘導体、塩類の製剤を要指示薬に指定し、そして薬務局長は、同年三月二日各知事あてに関係業者をして次のような使用上の注意事項を記載させるよう指導されたい旨通知した。すなわち、(1)心悸亢進、脈搏増加、不眠、発汗、頭痛、めまい等の副作用が生ずることがある。使用期間中にこれらの徴候が現れた場合は、甲状腺機能が異常に亢進しているおそれがあるので、医師に相談すること、なお連用すると離人症状、精神分裂症状態、躁うつ症等重篤な障害を起こすことがある。(2)高令者、動脈硬化症、腎炎、糖尿病には禁忌である。

(七) 厚生省は昭和四〇年九月ごろ、眼科医等からナフアゾリン及び塩酸フェニレフリンを含有する点眼剤によつて二次充血の副作用が多く発生している旨の情報を入手した。そこで薬務局長は、専門家の意見に基づき、昭和四一年三月一二日調剤専用及びそれ以外の各点眼剤の配伍基準量等を定めるとともに、各知事にあてて、ナフアゾリン又はその塩類を含有する点眼剤の容器もしくは直接の被包又は添付文書等に「(1)本品は過度の使用によりかえつて充血を招くおそれがあるので、定められた用法を厳守するとともに長期連用は避けること。(2)数日間使用しても症状の改善がみられない場合は、使用を中止して医師に相談すること。」という使用上の注意事項を記載すること、既に製造(輸入)された点眼剤で、在庫中のもの及び出荷されたものにかかる添付文書等に記載すべき注意事項については、当該点眼剤の交付の際に所定の事項を記載した文書を同時に交付する方法でも妨げないこと等を関係業者に指導するよう通知した。

なお、右通知にかかる使用上の注意事項について、日本製薬団体連合会は同年三月二二日厚生省に対し、「本剤は規定の用量で十分効果があり、過度の使用はまれに充血を招くことがありますから、定められた用法をよく守つてご使用下さい。なお、暫く続けてご使用になつても、もし充血が去らないような場合には、点眼を一時中止して、医師又は薬剤師にご相談下さい。」なる注意書で差し支えない旨了解願いたいと要望したが、薬務局長は翌日右の「まれに」の表現は不適当として右要望を受け入れなかつた。

(八) その後、昭和四三年五月にクロラムフェニコール等の抗生物質の副作用問題が生じ、薬務局長は、同年八月一四日右につき使用上の注意を定め関係業者を指導するよう各知事あてに通知したが、これを契機として、厚生省は、医薬品の使用上の注意事項を整備する必要を感じ、医薬品全般についてその適正な注意事項を添付文書等に記載させるべく検討を開始した。

なお、その後においても、厚生省は個々の医薬品に対する製造中止等の指導を行つている(例えば、昭和四四年七月のアミノ塩化第二水銀の製造中止、同年一〇月のポリビニルピロリドンの使用禁止、同四五年五月のキシリット及び同年九月のキノホルムの使用禁止など)。

5  また、承認段階でも、副作用を理由に厚生大臣が決裁を保留していた医薬品もあつた。

すなわち、昭和四〇年一一月当時製薬会社数社からDMSO(ジメチルサルフォキサイド、鎮痛消炎剤)の承認申請がされていたが、米国における動物実験でその副作用として視力障害を発症する旨の報告があり、この報告を基にFDAがその臨床試験を中止するよう指示したとの情報をFDAから得たので、厚生省では右数社に対し慎重に実験を行うよう指示し、厚生大臣はその承認をしなかつたところ、右関係会社でも実験を中止した。

更に厚生大臣は、その当時既に承認申請がされていた経口避妊薬に対する決裁を長期間保留していたが、それは副作用として視力障害の外に血栓症が起こるおそれがあるためであり、いまだその承認をしていない。

以上1から5までの事実が認められるところ、医薬品の安全性対策に関する厚生省における組織・制度の充実・発展は、薬事法及び厚生省設置法の目的、趣旨に当然合致するものということができるとともに、厚生省が現実に行つてきた各種医薬品に対する措置は、その多くが明文の根拠規定に基づかないいわゆる行政指導に属するごとく窺われるが、厚生大臣も、医薬品の安全対策のためにこのような指導勧告をなし得ることを認識し実行してきたものであり、かつ、相応の成果をあげてきたものと推認することができる。

四クロロキン網膜症に対する厚生大臣の対応と義務違反の有無

1  既にみたとおり、クロロキン製剤は、関節リウマチ、エリテマトーデスに対しては有用性が認められ、腎炎に対しても、少なくとも蛋白尿改善の限度では効果が認められ、前記再評価以前においては、副作用の存在にかかわらず、その有用性を認め得ないものではなかつたのであるから、厚生大臣がリン酸クロロキンを国民医薬品集及び日本薬局方に収載し、キドラ、CQCについて製造承認を与え、腎炎の適応追加を承認した等の措置に義務違反はなく、また、日本薬局方からの削除、製造承認の撤回をなすべき義務が発生したともいえない。

そして、被告製薬会社の義務が、副作用の調査・研究をし、クロロキン製剤の使用者に対し適切な副作用情報を提供し警告することにあつたところと対応して、厚生大臣が負うことのある義務も、被告製薬会社に対し、副作用の調査・研究を促し、使用者への適切な副作用情報の提供・警告をなすよう指導勧告することであつたと解される。

2  厚生省が、原告ら患者のクロロキン製剤服用の終りまでに、同剤の副作用対策としてとつた措置は、既に述べたとおり、昭和四二年三月の劇薬・要指示医薬品指定、同四四年一二月の使用上の注意事項に関する薬務局長通知、同四七年四月の「視力検査実施事項」の定めであつた。

ところで、前記認定のとおり、昭和四〇年五月一八日の医薬品安全性委員会の懇談会において、厚生省薬務局製薬課長豊田勤治は、クロロキン網膜症の症例報告があつた旨、自身もレゾヒンによる副作用を憂えている旨を述べるとともに、製薬業者に対して情報を知らせるよう求め、なお、その際、要指示医薬品の指定を示唆するような発言もしていたのである。そして、<証拠>によれば、昭和四〇年五月以降にも、クロロキン製剤の新薬の承認や適応症追加の申請が数社から出されていたが、クロロキン網膜症が判明したため、厚生省当局はその審査及び承認を保留していたこと、豊田製薬課長は、同四二年三月二四日開催の第二三回医薬品安全性委員会の懇談会にも出席し、その席でクロロキン網膜症に言及し、クロロキン製剤の劇薬、要指示医薬品指定にも触れるとともに、申請にかかるクロロキン製剤については目下審査中であると述べたこと、また、豊田課長は、同年七月二一日開催の同委員会の懇談会においても、とくにクロロキン網膜症に注意するよう意見を述べ、リウマチに対し、リン酸クロロキン(二五〇ミリグラム含有)とプレドニゾロンとの合剤(被告吉富の製造するエレストール)を連続投与で長期間服用する場合があり、そうすると網膜障害が起きる可能性があり、これについての副作用調査票での報告はまだ来ていないが、能書にはもつと積極的に注意事項を記載した方が良く、注意事項の記載といつた問題については、今後業界がもつと積極的に、指示を受ける前に実施すべきであつて、注意事項の記載については消極的な気持のメーカーもあるように思うが、医師、薬剤師に対し注意事項を積極的に啓蒙すべきである旨を述べたこと、以上の事実が認められる。

3 前記認定のような、被告製薬会社が副作用警告を怠つていた経過に対照すると、厚生省の対策も緩慢かつ不徹底なものであつたとの感は否みがたく、前記第五、二2(四)(4)にみたFDAのウインスロップに対する厳しい指導勧告に比較すると、いつそうその感を深くするのである。

しかし、他面、副作用回避の義務を負うのは、第一に、医薬品を製造、輸入、販売する製薬会社であり、それを使用する臨床医師である。厚生大臣のこの点における役割は後見的なものであり、その義務は製薬会社の義務に対する補充的なものであつて、厚生大臣が副作用の発生を認識した時にただちに積極的な対策を講ずることが要求されるわけではなく、製薬会社が必要な措置を講じないで放置し、製薬会社の自主的な措置をもはや期待し得ず、国民の健康保持の見地から看過し得ない事態が生じていることが明らかになつた時に初めて、厚生大臣が適切な措置をとるべき義務が発生するものであり、とるべき措置も、むしろ控え目なものであつてよいのであつて、厚生大臣の措置が事態を後追いする形になることはやむを得ないところである。

この見地から本件について考察するに、クロロキン製剤による網膜症の発生については、厚生省当局が昭和四〇年五月ごろに既に知つていたことは、同月一八日の医薬品安全性委員会の懇談会の席上での豊田課長の発言から明らかであるが、厚生大臣が、その時点でただちに迅速な対処を要するような重大な事態が生じている事実を認識していたものとは認められず、その後のクロロキン網膜症の件数の増加に応じて、まず行つた劇薬・要指示医薬品の指定は、法律上の根拠に基づく処分であり、限られた範囲でではあるが、クロロキン製剤の濫用を防止する効果を期待し得るものであつて、適切な措置であつたと評価される。次いで、昭和四二年七月には、業界の自主的組織である医薬品安全性委員会の懇談会の席上での非公式の発言ではあるが、所管課長である豊田勤治が、製薬業者の委員らに対し、製薬業者が自発的、積極的にクロロキンによる網膜障害についての警告を能書に記載するよう要望したのであり、このような要望は、前記の厚生大臣の役割に適うものということができる。そして、その後、製薬会社側の作成した文案に基づいて医薬品安全性委員会と厚生省側とが検討したうえ、前記使用上の注意事項に関する薬務局長通知に至つたのであり、それまでの経過が緩慢であつたこと、右通知の内容がクロロキン網膜症の重篤性、不可逆性を徹底させるにはなお不十分なものであつたこと、更に右通知の後「視力検査実施事項」の配布に至るまでに二年余を費やしたこと等、厚生省側の対応も決して満足し得るものではなかつたが、右に述べたように、製薬会社が自発的、積極的に副作用回避の措置をとる義務があり、厚生大臣の義務はそれに対する補充的なものであつて、自ら十全の措置をとることまで要求されるものでないことを考えると、右薬務局長通知までの間、製薬会社の積極的対処を期待して、経過を見守るということも、強ち怠慢とはいえず、また、右通知についても、これを契機として、製薬会社の副作用調査と自主的対策がいつそう進み、臨床医家もクロロキン網膜症に関する認識を深め得るであろうことを期待し得ないではなかつたと考えられるので、通知の内容が不十分であつたこと、また、その後ただちに次の措置にも移らなかつたことをもつて厚生省を非難することは相当でない。

そうすると、昭和四七年四月までの経過において、厚生大臣が、国民の健康の維持、増進をはかるべき責務を怠り、国民の期待に反して、当然なさるべき副作用回避措置を怠つていたものと評価することはできず、注意義務に反したとは認めるに足りないというべきである。

五厚生大臣の故意・過失

厚生大臣が、クロロキン網膜症の存在を認識していたにとどまらず、その発生を認容しながら、作為に出なかつたという事実を認めるに足る証拠はない。また、右に判断したところによれば、厚生大臣に同症回避措置を怠つた義務違反があるとはいえないから、その過失も認めるに足りないというほかはない。

したがつて、被告国は、原告ら患者のクロロキン網膜症罹患について損害賠償義務を負うものではなく、原告らの被告国に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当である。

第七損害―総説

一インフレ算入論について

原告らは、逸失利益及び将来の介護費の損害賠償につき、インフレーションによる物価及び賃金の継続的上昇を考慮し、中間利息を控除すべきでない旨主張する。

しかし、わが国における近時の経済の動向をみるに、国の財政・経済政策の指向、寡占の進行とそれによる価格形成、巨大労働組合の圧力による賃金上昇等が、いずれも、原告ら主張のような理論モデルに沿う動きを示していないことは、あまりにも顕著であり、少なくとも、昭和五五年以降、卸売物価は全く安定し、消費者物価も微増にとどまつていることは、公知の事実である。もとより、この最近の状態が永続するものでもないであろうが、今後の経済は、国際情勢、貿易収支、資源問題等に影響されつつ、多くの要因の錯綜する状況において、屈折をみながら進展していくものと考えられ、その方向を軽々に予測し得ないものであつて、長期的にみて、物価、賃金の平均年五パーセントの上昇が今後も恒常的に継続することが、高度の蓋然性をもつて予測されるものということはできない。

更に法律的にみると、金銭の運用利益は、その時々の社会・経済状態、各個人の環境、能力等によつて区々であり得るが、民法は、金銭債務についての特約のない場合の利率及び履行遅滞の場合の遅延損害金については、右のような時期的、人的な個別的事情を斟酌することをせず、一律にこれを年五分(商事債務については年六分)と定めて、いわば運用益を右割合とみなし、実際の損害がこれより多いか又は少ないことを証明しても増・減額されることがないものとし、また不可抗力をもつて抗弁することもできないものとしているのである(いわゆる事情変更の原則が適用されるようなきわめて稀な場合のみが、例外となり得るとしても)。そして、将来に得べかりし金銭と同額を現時点で損害賠償として取得させる場合には、右と表裏をなす関係において、経済状勢の変動や個人的事情を一切捨象し、運用益を一律に年五分とみなして、これを中間利息として控除することになるものと解されるのであるから、経済情勢の変動の予測を理由に、これを控除しないとすることはできないのである(変動を考慮し得るものがあるとすれば、それは将来に得べかりし収入の額そのものであるが、将来の賃金額についての高度の蓋然性のある予測の主張立証がない限り、現時点の収入額に基づいて算定することとなる。)。

なお、原告らは、原告ら患者が健常者に比して資金運用につき不利な立場に置かれることを特別事情として斟酌すべきものと主張する趣旨にも解されるが、右のような中間利息控除の性質から考えると、このような特別事情を斟酌することは困難であるばかりでなく、そもそも、成人に達してから視力が低下し又は失われた原告ら患者が、資産運用能力において健常人に比し不利な立場に置かれているとは、必ずしもいうことはできない。けだし、視力障害のため通常の就労が不可能になつた者でも、それだけは、その精神作用、判断力が些かも損われるものではなく(民法一一条の規定中、聾者、者、盲者を準禁治産者とした部分が昭和五四年法律第六八号による改正をもつて削除されたことが参考になる。)、情報の入手、伝達等について周囲の者の若干の介助を得られれば(それについては介護費の賠償がある。)、健常者と変わらぬ資産運用をなし得るのであつて、視力障害者の能力をことさらに低くみる必要は全くないからである。

したがつて、インフレ算入論に関する原告らの主張は採用することができない。

二制裁的慰藉料について

不法行為による精神的損害に対する慰藉料の額を定めるにあたつては、加害行為の主観的態様、すなわち、それが故意、過失のいずれによるか、また過失の程度等も、一切の事情の一つとして斟酌すべきであり、それは、加害行為が故意、重過失、軽過失のいずれかによるかが、被害感情すなわち精神的損害の程度に差異をもたらすため、慰藉料額に反映されることにほかならない。そして、その限度で、加害者が一種の制裁を受ける結果が生ずるのである。

しかし、被告製薬会社の故意責任は認められないのであるから、原告らの主張は、既にこの点において前提を欠くばかりでなく、右の限度を超えて、加害行為が故意によるものであることを理由に、制裁の目的をもつて責任を加重することは、損害の公平な分担を目的とする損害賠償制度の理念に反するとともに、私法と刑事法を峻別し、刑罰権を国家に独占させることとしたわが国の法制に合致しないものである。

したがつて、原告らの主張は採用することができない。

三その他

損害額算定に関するその他の問題については、以下、原告らの個別の損害の認定にあたつて、その都度判断する。

第八原告らの損害

一原告加藤奉榮及び同加藤ツヤノ

1  原告加藤奉榮

(一) 前記第二、一認定事実によれば、原告加藤奉榮は、現在ほとんど失明の状態であるが、昭和四二年八月一七日クロロキン網膜症の診断を受けた当時、既に視力が両眼〇・〇二以下、矯正不能であつたから、その時において労働能力を全部喪失したものと認めるべきであり、当時における同原告の年令二五歳の男子の平均余命は四九年であり(昭和五五年完全生命表による。年未満の端数を切捨てる。以下、各原告ら患者につき同じ。)、稼働可能年数は六七歳までの四二年間である。損害を以下のとおり算定する。

(二) 逸失利益

(1) 右障害の認定の日の属する年の翌年一月一日(すなわち昭和四三年一月一日)を損害算定の基準日とし、同日から稼働可能期間の終期の属する年の末日(すなわち同八四年一二月三一日)まで四二年間の得べかりし収入額を算定する。

(2) 収入額は、全労働者平均賃金(年収)を基礎とする。その額は、昭和五七年までは同原告主張のとおり、同五八年は三三五万円、同五九年以降は毎年三四八万円である。

(3) 同原告の原疾患であるネフローゼ症候群は、現在軽度ではあるが、完治したわけではなく、右基準日の前後を通じ入退院をくり返していたのであるから、それによる稼働能力の制限を考慮に入れないわけにはいかない。したがつて、右平均賃金から約一〇〇分の二〇(労災後遺障害等級第一一級の9に準ずる。)を減じ、収入額を別表第五損害認定表1の収入額記載の額とする。

(4) 右各年ごとの収入額にホフマン係数を乗じて中間利息を控除し、前記基準日における現価を求める(一万円未満の端数四捨五入)。

(5) こうして、逸失利益現価の合計は四七〇二万円である。

(三) 介護費

(1) 前記(二)(1)と同じ基準日から平均余命に満つる年の末日(昭和九一年一二月三一日)まで四九年間について算定する。

(2) 介護費の額は、昭和四三年から同四六年までは年額一八万円、同四七及び四八年は年額三六万円、同四九年から同五一年までは年額五四万円、同五二年から同五八年までは年額七三万円、同五九年以降は年額九二万円とする。

(3) 右各年ごとの介護費の額につき前記(二)(4)と同様にして、基準日の現価を求める(一万円未満の端数四捨五入)。

(4) こうして、介護費現価の合計は一七三二万円である。

(四) 慰藉料

同原告の障害の程度その他の諸般の事情を考慮して、同原告に対する慰藉料は一四〇〇万円とするのが相当である。

(五) 弁護士費用

本件訴訟の特質等のほか、認容金額が高額であることをも考慮して、右(二)ないし(四)の合計額七八三四万円の約七パーセントにあたる五四八万円とするのが相当である。

(六) 遅延損害金

弁護士費用の損害については、訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五五年一〇月一八日以降、その他の損害については、前記基準日である同四三年一月一日以降、各民事法定利率年五分の割合。

2  原告加藤ツヤノ

<証拠>によれば、原告加藤ツヤノは、大正一五年生れで、原告加藤奉榮の姉であり、昭和四四年以降、同原告と同居し、小さな雑貨商を営みながら、同原告の日常の介護にあたつている事実が認められ、これによれば、原告ツヤノは、同奉榮の眼障害により、少なからぬ精神的苦痛を被つていることは、推認することができる。しかし、原告ツヤノは、民法七一一条所定の者にあたらず、右事実からただちに同条の規定を類推適用すべきものとも解されないから、同原告は、原告奉榮の障害により自己固有の慰藉料を請求することはできないものというほかはない。したがつて、原告ツヤノの請求は理由がない。

二原告鈴木征二及びその家族である原告ら

1  原告鈴木征二

(一) 前記第二、二認定事実によれば、原告鈴木征二は、現在視力が僅かな手動弁のみで視野も測定不能に陥つているのであり、自覚症状は昭和四二年ごろから始まつているが、クロロキン網膜症の明確な診断を受けたのが昭和五三年一〇月九日であることと、同五四年から同五八年までの視力、視野の変化の状況を考えると、症状の進行は比較的緩慢であつたが、漸次進行し同五五、六年ごろには、重篤な状態に至つていたものとみられる。そして、<証拠>によれば、同原告は、昭和二九年から興和紡績株式会社古知野工場に勤務し、同五二年当時、同工場精紡課組長の職にあつたが、同年に、同工場の閉鎖により配転を迫られることとなつた際に、視力悪化のため従前と同一職種の仕事を続けることが困難であると感じたため、他工場への配転を断り、同年八月から、関連会社の興新運輸株式会社に移つて配送の仕事についたこと、しかし、同会社にも、眼障害で通勤が困難になつたため、同五五年三月限りで同会社を辞め、同五六年二月から、職業安定所の紹介で、チューキョー株式会社に雑用係として雇われて現在に至つているが、これも、視力を失つているため永続し得ない状況にあること、以上の事実が認められる。このような事実を総合すると、同原告は昭和五五年末ごろまでに労働能力を全部喪失したものとして扱うのが相当であると認める。当時における同原告の年令四二歳の男子の平均余命は三三年であり、稼働可能年数は六七歳までの二五年間である。損害を次のとおり算定する。

(二) 逸失利益

(1) 前記一1(二)(1)と同様にして、昭和五六年一月一日を損害算定の基準日とし、同日から同八〇年一二月三一日まで二五年間の得べかりし収入額を算定する。

(2) <証拠>によれば、同原告が興和紡績株式会社に勤務して得ていた給与の額は昭和五一年中が二七六万八二一三円であつたが、興新運輸株式会社から得た給与はこれより低額で月収約一三万円であり、チューキョー株式会社で得ている給与は年約七五万円であることが認められる。右の昭和五一年の実収入は、同年の全労働者平均賃金より高額であるが、同五六年以降のそれより低額であるから、右平均賃金をもつて算定の基礎とし、チューキョー株式会社から得ている収入は少額かつ不確実なものであり、眼障害のもとでの特別の努力によつて得ているものと推測されるので、逸失利益の算定にあたり考慮しない。

(3) 同原告は、慢性腎不全となり、週三回の人工透析を受けているものであつて、右疾患により稼働能力の減少を免れないと考えられるから、右平均賃金から約一〇〇分の三五(障害等級第九級の七の三に準ずる。)を減じ、収入額を別紙第五損害認定表2の収入額欄記載の額とする。

(4) 中間利息の控除は、前記一1(二)(4)と同様にする。

(5) こうして、逸失利益現価の合計は三五六〇万円である。

(三) 介護費

(1) 前記(二)(1)と同じ基準日から平均余命に満つる年の末日である昭和八八年一二月三一日まで三三年間について算定する。

(2) 介護費の額は、前記腎不全のためにも若干の介護を要する可能性があることを考慮して、前記一1(三)(2)の額から約一割を減じ、昭和五六年から同五八年までは年額六六万円、同五九年以降は年額八三万円とする。

(3) 前同様にして現価を求める。

(4) 介護費現価の合計は一五四六万円である。

(四) 慰藉料

一三〇〇万円とするのが相当である。

(五) 弁護士費用

右(二)ないし(四)の合計六四〇六万円の約七パーセントの四四八万円とするのが相当である。

(六) 遅延損害金

全損害について、基準日である昭和五六年一月一日以降年五分の割合による金員とする。

(七) 以上の損害について、被告住友、同稲畑及び同小野は各自その全額を支払うべき責を負うが、被告科研は、前記第五、五2(四)の理由により、その約四分の一、すなわち弁護士費用を除く損害について一六〇二万円、弁護士費用一一二万円の債務を負うものとするのが相当である。

2  家族原告ら

(一) <証拠>によれば、原告鈴木サツコは、昭和三七年に同鈴木征二と婚姻した妻であることが認められる。右事実によれば、原告サツコは、夫の同征二の重篤な眼障害により、その死亡の場合に比肩すべき精神的苦痛を被つているものと認められるから、自己固有の慰藉料を請求し得るものというべきであり、その慰藉料の額は一五〇万円とするのが相当である。

また、原告サツコは、弁護士費用の損害賠償を請求し得るものであり、その額は、慰藉料額の一割の一五万円とするのが相当である。そして、遅延損害金は、右合計一六五万円に対する前記1(六)と同様昭和五六年一月一日以降年五分の割合による金員とする。ただし、右1(七)と同様にして、被告科研は、慰藉料四〇万円、弁護士費用四万円の支払義務を負うものとする。

(二) 右(一)挙示の証拠によれば、原告鈴木斉及び同鈴木智美は、同征二の子で、昭和五六年当時未成年であつたことが認められるが、右両名が父である原告征二の眼障害により、その死にも比肩すべき精神的苦痛を被つているものとは認めるに足りないから、右両名の請求は失当とすべきである。

三原告所ひさゑ及びその家族である

原告ら

1  原告所ひさゑ

(一) 前記第二、三認定事実によれば、原告所ひさゑは、現在両眼の視力が眼前手動弁で、かつ、強度の視野狭窄が生じていて、失明と同視し得る状態にあり、昭和四六年一月二九日当時、若干の視力は残つていたが、障害が顕著になつており、同五三年初頃には、労働能力を全部喪失したものと認めるのが相当である。そして、昭和四六年末現在における同原告の年令三一歳の女子の平均余命は四八年であり、稼働可能年数は六七歳までの三六年間である。

(二) 逸失利益

(1) 昭和四七年一月一日を損害算定の基準日とし、同日から同八二年一二月三一日までの三六年間について算定する。

(2) 同原告は家庭の主婦であることが、同本人の供述から明らかであるので、基礎とする収入額は、賃金センサスによる全女子労働者平均賃金(一万円未満切捨)を採用することとする。その額は、別表第五損害認定表3の女子平均賃金欄記載のとおりである。

(3) 同原告の腎炎は、いつたん軽快していたが、その後悪化し、週三回の人工透析を受けているのであるから、それによる稼働能力の減少を考慮すべきであり、前記二1(二)(3)と同様、右平均賃金から約一〇〇分の三五を減ずるのが相当である。

(4) 更に、眼障害による稼働能力喪失の割合は、昭和四七年から同五二年までが一〇〇分の五六(障害等級第七級の一に準ずる。)とし、同五三年以降は一〇〇パーセントとする。

(5) 右(3)、(4)の各割合による修正をした結果得られる毎年の収入額は、損害認定表3の収入額欄記載のとおりである。

(6) 前同様にして、昭和四七年一月一日現在の現価を求めると、その合計は二二七五万円である。

(三) 介護費

(1) 昭和五二年までは介護費は認めず、昭和五三年一月一日から平均余命に満つる年の末日である同九四年一二月三一日までの四二年間について算定する。

(2) 介護費の額は、前記二1(三)(2)と同じ理由により、昭和五三年から同五八年までは年額六六万円、同五九年以降は年額八三万円とする。

(3) 右金額の昭和四七年一月一日現在の現価を前同様にして求めると、その合計は一五〇七万円である。

(四) 慰藉料

一四〇〇万円とするのが相当である。

(五) 弁護士費用

右(二)ないし(四)の合計五一八二万円の約七パーセントの三六三万円とするのが相当である。

(六) 遅延損害金

弁護士費用の損害については、訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五五年一〇月一八日以降、その他の損害については前記基準日である同四七年一月一日以降、各年五分の割合

(七) 年金の控除

被告吉富及び同武田は、原告所ひさゑの障害年金受領額を差し引くべきである旨主張し、同原告本人は、年金受領の事実を認める供述をしているが、その金額についてはきわめて漠然とした供述しかなく、他にこれを確認するに足る資料がないで、右主張は採用し得ない。

2  家族原告ら

(一) <証拠>によれば、原告所邦衛は、昭和四一年四月に原告所ひさゑと結婚した夫であり、結婚当時、原告ひさゑの眼障害は既に発生していたが、未だその症状は重篤であつたとは認められず、そして、その後症状が悪化したことにより、原告邦衛は、同ひさゑが生命を害された場合に比して著しく劣らない程度の精神的苦痛を被つているものと認めるべきであるから、固有の慰藉料を請求し得るものというべく、その額は一五〇万円とするのが相当である。

また、弁護士費用の損害として一五万円を認めるのが相当であり、遅延損害金の起算日については、前記1(六)と同様とする。

(二) 右(一)掲記の証拠によれば、原告所博昭は、昭和四三年に出生した原告所ひさゑの子であることが認められるが、同原告の眼障害によりその死にも比肩すべき精神的苦痛を被つたものとは認めるに足りず、その請求は失当とすべきである。

四原告平木葉子ら

1  亡平木米吉の損害

(一) 前記第二、四認定事実によれば、亡平木米吉の判明している最終の眼の状況は、矯正視力が右眼〇・一、左眼〇・六で強度の視野狭窄を生じており、それ以前の同五〇年から同五二年五月までの状況は、矯正視力はある程度残つていたが、視野狭窄はかなり進んでいたものである。他方、<証拠>によれば、平木米吉は、昭和二五年以来、大和運輸株式会社営繕課に勤務していたが、眼障害のため同五一年九月一五日退職した事実が認められる。右事実を総合すると、米吉の眼の障害は、右退職の時点で顕著になつていたものと認められる。

(二) 逸失利益

(1) 右退職時点の翌月の昭和五一年一〇月一日を損害算定の基準日とし、米吉の死亡の日の属する月の末日である同五四年七月三一日までの三四か月間の得べかりし収入額を算定する。

(2) 右(一)掲記の各証拠によれば、米吉が大和運輸株式会社から昭和四九年中に得た給与は二六九万二八五〇円であつたことが認められ、この額は、同五一年から同五三年までの全労働者平均賃金を上廻り、同五四年のそれとも大差がないので、右実収入額(一万円未満切捨)をもつて算定の基礎とする。

(3) 原疾患による労働能力減少は、斟酌を要するほどのものとは認められない。

(4) 眼障害による労働能力喪失割合は、右(1)の期間を通じて一〇〇分の七九(障害等級第五級の一に準ずる。)と認める。

(5) 月別ホフマン係数により、中間利息を控除して、基準日の現価を求めると、五六二万円(一万円未満四捨五入)となる。

(6) なお、米吉の受けた年金の額についても、前記本人尋問の結果は必ずしも明確でなく、他にこれを確認するに足る資料はないので、年金を逸失利益の算定にあたり控除することはできない。

(三) 介護費用

前記障害の程度に照らすと、米吉は、眼障害のためには、介護費用の損害が発生するほどの要介護の状態に達していたとは認められないので、その請求は失当である。

(四) 慰藉料

一一〇〇万円とするのが相当である。

(五) 相続

<証拠>によれば、米吉の相続人は、妻である原告平木葉子、子である原告平木和恵及び同平木美絵であることが認められ、したがつて、米吉の右(二)、(四)の損害賠償請求権一六六二万円につき、右原告らが法定相続分各三分の一に分割して、それぞれ五五四万円を承継したものである。

2  家族原告ら

米吉の眼障害の状況によれば、その妻及び子である右原告らが、米吉の死にも比肩すべき精神的苦痛を被つたものとは認めるに足りず、したがつて、家族固有の慰藉料の請求は失当である。

3(一)  弁護士費用

右各原告ごとに、相続により取得した損害賠償請求権の額の約一割の五五万円とするのが相当である。

(二)  遅延損害金

弁護士費用に対しては、訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな、原告平木葉子及び同平木美絵について昭和五五年一〇月一八日、原告平木和恵について同年一二月三〇日から、その余の損害については前記基準日の同五一年一〇月一日から各年五分の割合とする。

五原告三田健雄及びその家族である

原告ら

1  原告三田健雄

(一) 前記第二、五認定事実によれば、原告三田健雄は、現在弱い光覚しかなく失明と同視し得る状態にあり、昭和四八年ごろには、未だ矯正視力がかなりあつたが、同五五年二月当時は光覚となつていたのである。しかし、<証拠>によれば、同原告は、従前実兄の代表する三田飲料株式会社の取締役であるとともに、その経理事務全般を担当し、昭和五三、五四年は年額六三六万円、同五五年は五二六万円、同五六年は五二四万円といずれも当時の全労働者平均賃金をはるかに上廻る給与を得ていたが、視力喪失のため同年末をもつて退職した事実が認められる。そうすると、同原告は、昭和五六年末をもつて労働能力を全部喪失したものと認めるのが相当であり、当時の同原告の年令四五歳の男子の平均余命は三〇年、稼働可能年数は六七歳までの二二年間である。

(二) 逸失利益

(1) 前記一1(二)(1)と同様の方法で、昭和五七年一月一日を損害算定の基準日とし、同日から同七八年一二月三一日まで二二年間の得べかりし収入額を算定する。

(2) 収入額については、前記のとおり実収入額が高額であるが、これには取締役としての報酬、すなわち、労務の対価でなく利益配分たる性質のものも含まれている可能性があり、その部分の喪失は、失明による労働能力の喪失とは直接の関係がないと考えられるので、将来の収入の推定の基礎として右実収入額をただちにとることができない。そこで、昭和五九年の全労働者平均賃金年額三四八万円をもつて右(1)の全期間を通じての収入額の基礎とする。

(3) 同原告の原疾患はこれまでのところ比較的軽症であるように窺われるので、それによる減価を約一割にとどめ、収入年額を三一三万円とする。

(4) その基準日の現価を前同様にして求めると、四五六四万円となる。

(三) 介護費

(1) 介護費は、前記基準日から昭和八六年一二月三一日までの三〇年間について算入する。

(2) 介護費の額は、昭和五七、五八年が年額七三万円、同五九年以降が年額九二万円とする。

(3) 前同様にして、介護費の現価合計を求めると、一六二三万円となる。

(四) 慰藉料

一四〇〇万円とするのが相当である。

(五) 弁護士費用

右(二)ないし(四)の合計七五八七万円の約七パーセントの五三一万円とするのが相当である。

(六) 遅延損害金

全損害について、前記基準日の昭和五七年一月一日以降年五分の割合

2  家族原告ら

(一) <証拠>によれば、原告三田紀美子は、昭和四〇年に結婚した原告三田健雄の妻であることが認められ、原告健雄の失明によりその死にも比肩すべき精神的苦痛を被つているものとみられるので、固有の慰藉料を請求し得るものというべく、その額は二〇〇万円とするのが相当である。また、弁護士費用はその一割の二〇万円とし、遅延損害金は1(六)と同様とする。

(二) 右(一)掲記の証拠によれば、原告三田むつみ及び同三田いずみは、原告健雄の子であることが認められるが、父である原告健雄の失明によつてその死にも比肩すべき精神的苦痛を被るものとは認めるに足りないから、その固有の慰藉料請求を認めることはできないというべきである。

六原告安田キミとその家族である原告ら

1  原告安田キミ

(一) 前記第二、六認定事実によれば、原告安田キミの最も近い時点での視力は両眼とも矯正〇・〇五で、視野狭窄もかなり強くなつていること、同五一年までは矯正視力が両眼〇・二以上あつたが、同五二年八月三〇日には同じく両眼〇・一未満に低下していたことが認められるので、同年末以降労働能力を一〇〇分の九二(障害等級第四級の一に準ずる。)喪失したものと認めるのが相当であり、同原告の当時の年令五六歳における稼働可能年数は六七歳までの一一年である。

(二) 逸失利益

(1) 昭和五三年一月一日を損害算定の基準日とし、同日から同六三年一二月三一日まで一一年間の収入額を算定する。

(2) 同原告本人尋問の結果によれば、同原告は家庭の主婦であると認められるので、収入額は全女子労働者平均賃金によるのが相当である。

(3) 原疾患であるエリテマトーデスは、根治はしていないが、労働能力を減少させるほどのものとは認められない。

(4) よつて、右収入額に一〇〇分の九二を乗じたものから前同様にして基準日における現価を求めると、その合計は一五七二万円である。

(三) 介護費

前記視力の状況に照らすと、同原告は日常生活に不自由を来たしていることは窺われないではないが、介護費を損害として請求するに足るほどの要介護の状態に至つているものとは認められないから、その請求は失当である。

(四) 慰藉料

一二〇〇万円とするのが相当である。

(五) 弁護士費用

右(二)と(四)の損害の合計二七七二万円の約八パーセントの二二一万円とするのが相当である。

(六) 遅延損害金

弁護士費用については、本件第三事件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五八年三月二三日以降、その他の損害については前記基準日である同五三年一月一日以降各年五分の割合

2  家族原告ら

(一) <証拠>によれば、原告安田政一は、昭和一三年に同キミと結婚した夫であることが認められ、同キミの重篤な眼障害によりその死にも比肩すべき精神的苦痛を被つているものと推測されるから、自己固有の慰藉料を請求し得るものというべきであり、その額は一二〇万円とするのが相当である。また、弁護士費用は右金額の一割の一二万円とし、遅延損害金は前記1(六)と同じである。

(二) 原告善波悦子

(一)掲記の各証拠によれば、原告善波悦子は、原告キミの子であることが認められるが、その母の右のような眼障害によつて死にも比肩すべき精神的苦痛を被るものとは認められないから、慰藉料は請求し得ないものというべきである。

第九消滅時効の抗弁について

一被告吉富及び同武田は、原告所ひさゑが昭和五一年末までに本件被害についての損害及び加害者を知つたから、それから三年の経過をもつて、同原告の損害賠償請求権につき消滅時効が完成した旨主張し、同原告本人は、裁判に必要なため、甲あ第三号証の一四の投薬証明書(昭和五一年七月五日付)を入手したごとく供述しているが、他方で、同原告が同五四年八月一三日付の更に詳細な投薬証明の報告書(前掲甲あ第三号証の二)を再度入手したこと、眼科医師からクロロキン網膜症の診断書の交付を受けたのは同五三年一二月二八日(前掲甲あ第三号証の一九)のことであつたこと、甲あ第三号証の二〇には、同原告は、同五三年に、新聞にクロロキン網膜症の裁判の記事が載つたのをきつかけに、同症被害者の会に連絡し、それから次第に同症のことについて具体的に知るようになつたとの記載があることに照らすと、同原告が、同五一年当時、クロロキン製剤の製造・販売に関する製薬会社の行為が違法なものであり、前記被告両名に対して損害賠償を請求し得るものであることを知つたものとは認めるに足りず、したがつて、右の時に損害及び加害者を知つたものとはいえないと解される。よつて、右主張は理由がない。

二被告吉富及び同武田は、原告所ひさゑ、同所邦衛、同平木葉子及び同平木美絵の各請求拡張分の損害賠償請求権について消滅時効を援用するが、記録によれば、右原告らは、本訴第一事件の訴状において、全体の損害額を示し、その特定の一部を請求する旨を明示して請求したものではなく、損害として判明するものは全部を請求する趣旨であつたと解されるから、本訴の提起により、右原告らの損害賠償請求権全部について時効中断の効力を生じたものというべきである。したがつて、右主張も理由がない。

第一〇結論

以上の次第で、本訴請求中、別表第一記載の原告らの被告製薬会社に対する請求は同表記載の限度で理由があるからこれを認容するが、右原告らの被告製薬会社に対するその余の請求及び被告国に対する請求並びにその余の原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九〇条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用し、仮執行免脱宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官野田 宏 裁判官鈴木健太は転補につき、裁判官小林久起は外国出張中につき、いずれも署名捺印することができない。裁判長裁判官野田 宏)

別表第五損害認定表1〜6<省略>

別表第一

請求認容金額一覧表

世帯・

原告番号

原告氏名

対応被告

認容金額(円)

内金額(円)

遅延損害金起算日

昭和年月日

1・1

加藤奉榮

小野

八三八二万

七八三四万

四三・一・一

五四八万

五五・一〇・一八

2・3

鈴木征二

小野

住友

稲畑

六八五四万

六八五四万

五六・一・一

科研

一七一四万

一七一四万

五六・一・一

2・4

鈴木サツコ

小野

住友

稲畑

一六五万

一六五万

五六・一・一

科研

四四万

四四万

五六・一・一

3・7

所ひさゑ

吉富

武田

五五四五万

五一八二万

四七・一・一

三六三万

五五・一〇・一八

3・8

所邦衛

吉富

武田

一六五万

一五〇万

四七・一・七

一五万

五五・一〇・一八

4・10

平木葉子

吉富

武田

六〇九万

五五四万

五一・一〇・一

五五万

五五・一〇・一八

4・11

平木美絵

吉富

武田

六〇九万

五五四万

五一・一〇・一

五五万

五五・一〇・一八

4・12

平木和恵

吉富

武田

六〇九万

五五四万

五一・一〇・一

五五万

五五・一二・三〇

5・13

三田健雄

科研

八一一八万

八一一八万

五七・一・一

5・14

三田紀美子

科研

二二〇万

二二〇万

五七・一・一

6・17

安田キミ

科研

二九九三万

二七七二万

五三・一・一

二二一万

五八・三・二三

6・18

安田政一

科研

一三二万

一二〇万

五三・一・一

一二万

五八・三・二三

略称の説明

1 「小野」=被告小野薬品工業株式会社

2 「科研」=被告科研製薬株式会社

3 「住友」=被告住友化学工業株式会社

4 「稲畑」=被告稲畑産業株式会社

5 「武田」=被告武田薬品工業株式会社

6 「吉富」=被告吉富製薬株式会社

別表第二

原告請求金額一覧表

事件

世帯・

原告番号

原告氏名

対応

被告

請求金額(円)

内金額(円)

遅延損害金起算日

昭和年・月・日

(対応被告)

第一

1・1

加藤奉榮

小野

二億六〇八五万

二億二六八三万

42.8.17

三四〇二万

55.10.18

二億三七八五万

二億〇六八三万

42.8.17

三一〇二万

55.10.17

第一

1・2

加藤ツヤノ

小野

六九〇万

六〇〇万

42.8.17

九〇万

55.10.17(国)

55.10.18(小野)

第一

2・3

鈴木征二

科研

小野

住友

稲畑

二億四二八二万

二億一一一五万

42.5.1

三一六七万

55.10.18

二億一九八二万

一億九一一五万

42.5.1

二八六七万

55.10.17

第一

2・4

鈴木サツコ

科研

小野

住友

稲畑

六九〇万

六〇〇万

42.5.1

九〇万

55.10.17(国)

55.10.18

(科研・小野・住友・稲畑)

第一

2・5

鈴木斉

科研

小野

住友

稲畑

三四五万

三〇〇万

42.5.1

四五万

55.10.17(国)

55.10.18

(科研・小野・住友・稲畑)

第一

2・6

鈴木智美

科研

小野

住友

稲畑

三四五万

三〇〇万

42.5.1

四五万

55.10.17(国)

55.10.18

(科研・小野・住友・稲畑)

第一

3・7

所ひさゑ

武田

吉富

二億六〇六八万

二億二六六八万

37.6.23

三四〇〇万

55.10.18

二億三七六八万

二億〇六六八万

37.6.23

三一〇〇万

55.10.17

第一

3・8

所邦衛

武田

吉富

六九〇万

六〇〇万

41.3.27

九〇万

55.10.17

55.10.18(武田・吉富)

第一

3・9

所博昭

武田

吉富

三四五万

三〇〇万

43.4.16

四五万

55.10.17(国)

55.10.18(武田・吉富)

第一

4・10

平木葉子

武田

吉富

五九一八万

五一四六万

50.2.1

七七二万

55.10.18

五一五二万

四四八〇万

50.2.1

六七二万

55.10.17

第一

4・11

平木美絵

武田

吉富

五五七三万

四八四六万

50.2.1

七二七万

55.10.18

四八〇七万

四一八〇万

50.2.1

六二七万

55.10.17

第二

4・12

平木和恵

武田

吉富

五五七三万

四八四六万

50.2.1

七二七万

55.12.30

四八〇七万

四一八〇万

50.2.1

六二七万

55.12.18

第二

5・13

三田健雄

科研

二億二五三〇万

一億九五九二万

48.9.17

二九三八万

55.12.28

二億〇三〇万

一億七五九二万

48.9.17

二六三八万

55.12.28

第二

5・14

三田紀美子

科研

六九〇万

六〇〇万

48.9.17

九〇万

55.12.28

第二

5・15

三田むつみ

科研

三四五万

三〇〇万

48.9.17

四五万

55.12.28

第二

5・16

三田いずみ

科研

三四五万

三〇〇万

48.9.17

四五万

55.12.18

第三

6・17

安田キミ

科研

一億七一七六万

一億四九三六万

50.10.8

二二四〇万

58.3.23

一億四八七六万

一億二九三六万

50.10.8

一九四〇万

58.3.20

第三

6・18

安田政一

科研

六九〇万

六〇〇万

50.10.8

九〇万

58.3.23

第三

6・19

善波悦子

科研

三四五万

三〇〇万

50.10.8

四五万

58.3.23

別表第三

1 逸失利益計算表

年度西暦

(昭和)

全労働者

平均賃金(年収)

1982(昭和57)

年までの累積額

1961 (36)

29万円

3148万円

1962 (37)

33〃

3119〃

1963 (38)

37〃

3086〃

1964 (39)

41〃

3049〃

1965 (40)

45〃

3008〃

1966 (41)

49〃

2963〃

1967 (42)

53〃

2914〃

1968 (43)

63〃

2861〃

1969 (44)

72〃

2798〃

1970 (45)

86〃

2726〃

1971 (46)

99〃

2640〃

1972 (47)

114〃

2541〃

1973 (48)

137〃

2427〃

1974 (49)

175〃

2290〃

1975 (50)

205〃

2115〃

1976 (51)

218〃

1910〃

1977 (52)

240〃

1692〃

1978 (53)

257〃

1452〃

1979 (54)

270〃

1195〃

1980 (55)

291〃

925〃

1981 (56)

310〃

634〃

1982 (57)

324〃

324〃

別表第三

2介護費計算表

年度西暦

(昭和)

相当介護費

(年額)

1982(昭和57)年

までの累積額

1961(36)

12万円

1493万円

1962(37)

12〃

1481〃

1963(38)

12〃

1469〃

1964(39)

12〃

1457〃

1965(40)

24〃

1445〃

1966(41)

24〃

1421〃

1967(42)

24〃

1397〃

1968(43)

36〃

1373〃

1969(44)

36〃

1337〃

1970(45)

48〃

1301〃

1971(46)

48〃

1253〃

1972(47)

60〃

1205〃

1973(48)

72〃

1145〃

1974(49)

96〃

1073〃

1975(50)

96〃

977〃

1976(51)

96〃

881〃

1977(52)

120〃

785〃

1978(53)

120〃

665〃

1979(54)

120〃

545〃

1980(55)

137〃

425〃

1981(56)

144〃

288〃

1982(57)

144〃

144〃

別表第四損 害 金 計 算 式 1―A

対 小 野

世帯番号 1 患者原告 加 藤 奉 榮

1、条 件

生年月日 西暦1942年(昭和17年) 3月8日生

1982年末現在の年齢 40歳

1983年1月1日における余命年数 34年………A

1983年1月1日における稼動可能年数(稼動年限67歳) 27年………B

損害発生年 西暦1967年(昭和42年) ………C

2、逸失利益

(1) 1982年末までの分

別紙逸失利益計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 2,914万円

(2) 1983年1月以降の分

324万円×B=8,748万円

(3) 逸失利益合計((1)+(2)) 11,662万円

(4) 本訴で請求する内金 10,151万円………D

3、介 護 費

(1) 1982年末までの分

別紙介護費計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 1,397万円

(2) 1983年1月以降の分

144万円×A=4,896万円

(3)介護費合計((1)+(2)) 6,293万円

(4)本訴で請求する内金 5,532万円………E

4、慰 藉 料 7,000万円………F

5、中間合計(D+E+F) 22,683万円………G

6、弁護士費用(Gの15%) 3,402万円………H

7、総合計額(G+H) 26,085万円

損 害 金 計 算 式 1―B

対 国

世帯番号 1 患者原告 加 藤 奉 榮

1、条 件

生年月日 西暦1942年(昭和17年) 3月8日生

1982年末現在の年齢 40歳

1983年1月1日における余命年数 34年………A

1983年1月1日における稼動可能年数(稼動年限67歳) 27年………B

損害発生年 西暦1967年(昭和42年) ………C

2、逸失利益

(1) 1982年末までの分

別紙逸失利益計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 2,914万円

(2) 1983年1月以降の分

324万円×B=8,748万円

(3) 逸失利益合計((1)+(2)) 11,662万円

(4) 本訴で請求する内金 10,151万円………D

3、介 護 費

(1) 1982年末までの分

別紙介護費計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 1,397万円

(2) 1983年1月以降の分

144万円×A=4,896万円

(3)介護費合計((1)+(2)) 6,293万円

(4)本訴で請求する内金 5,532万円………E

4、慰 藉 料 5,000万円………F

5、中間合計(D+E+F) 20,683万円………G

6、弁護士費用(Gの15%) 3,102万円………H

7、総合計額(G+H) 23,785万円

損 害 金 計 算 式 2―A

対 科研・小野・住友・稲畑

世帯番号 2 患者原告 鈴 木 征 二

1、条 件

生年月日 西暦1938年(昭和13年) 4月8日生

1982年末現在の 年齢44歳

1983年1月1日における余命年数 31年………A

1983年1月1日における稼動可能年数(稼動年限67歳) 23年………B

損害発生年 西暦1967年(昭和42年) ………C

2、逸失利益

(1) 1982年末までの分

別紙逸失利益計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 2,914万円

(2) 1983年1月以降の分

324万円×B=7,452万円

(3) 逸失利益合計((1)+(2)) 10,366万円

(4) 本訴で請求する内金 9,063万円………D

3、介 護 費

(1) 1982年末までの分

別紙介護費計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 1,397万円

(2) 1983年1月以降の分

144万円×A=4,464万円

(3) 介護費合計((1)+(2)) 5,861万円

(4) 本訴で請求する内金 5,052万円………E

4、慰 藉 料 7,000万円………F

5、中間合計(D+E+F) 21,115万円………G

6、弁護士費用(Gの15%) 3,167万円………H

7、総合計額(G+H) 24,282万円

損 害 金 計 算 式 2―B

対 国

世帯番号 2 患者原告 鈴 木 征 二

1、条 件

生年月日 西暦1938年(昭和13年) 4月8日生

1982年末現在の 年齢44歳

1983年1月1日における余命年数 31年………A

1983年1月1日における稼動可能年数(稼動年限67歳) 23年………B

損害発生年 西暦1967年(昭和42年) ………C

2、逸失利益

(1) 1982年末までの分

別紙逸失利益計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 2,914万円

(2) 1983年1月以降の分

324万円×B=7,452万円

(3) 逸失利益合計((1)+(2)) 10,366万円

(4) 本訴で請求する内金 9,063万円………D

3、介 護 費

(1) 1982年末までの分

別紙介護費計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 1,397万円

(2) 1983年1月以降の分

144万円×A=4,464万円

(3) 介護費合計((1)+(2)) 5,861万円

(4) 本訴で請求する内金 5,052万円………E

4、慰 藉 料 5,000万円………F

5、中間合計(D+E+F) 19,115万円………G

6、弁護士費用(Gの15%) 2,867万円………H

7、総合計額(G+H) 21,982万円

損 害 金 計 算 式 3―A

対 吉富・武田

世帯番号 3 患者原告 所 ひさゑ

1、条 件

生年月日 西暦1940年(昭和15年) 1月13日生

1982年末現在の年齢 42歳

1983年1月1日における余命年数 38年………A

1983年1月1日における稼動可能年数(稼動年限67歳) 25年………B

損害発生年 西暦1962年(昭和37年) ………C

2、逸失利益

(1) 1982年末までの分

別紙逸失利益計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 3,119万円

(2) 1983年1月以降の分

324万円×B=8,100万円

(3) 逸失利益合計((1)+(2)) 11,219万円

(4) 本訴で請求する内金 9,812万円………D

3、介 護 費

(1) 1982年末までの分

別紙介護費計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 1,481万円

(2) 1983年1月以降の分

144万円×A=5,472万円

(3) 介護費合計((1)+(2)) 6,953万円

(4) 本訴で請求する内金 5,856万円………E

4、慰 藉 料 7,000万円………F

5、中間合計(D+E+F) 22,668万円………G

6、弁護士費用(Gの15%) 3,400万円………H

7、総合計額(G+H) 26,068万円

損 害 金 計 算 式 3―B

対 国

世帯番号 3 患者原告 所 ひさゑ

1、条 件

生年月日 西暦1940年(昭和15年) 1月13日生

1982年末現在の年齢 42歳

1983年1月1日における余命年数 38年………A

1983年1月1日における稼動可能年数(稼動年限67歳) 25年………B

損害発生年 西暦1962年(昭和37年) ………C

2、逸失利益

(1) 1982年末までの分

別紙逸失利益計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 3,119万円

(2) 1983年1月以降の分

324万円×B=8,100万円

(3) 逸失利益合計((1)+(2)) 11,219万円

(4) 本訴で請求する内金 9,812万円………D

3、介 護 費

(1) 1982年末までの分

別紙介護費計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 1,481万円

(2) 1983年1月以降の分

144万円×A=5,472万円

(3) 介護費合計((1)+(2)) 6,953万円

(4) 本訴で請求する内金 5,856万円………E

4、慰 藉 料 5,000万円………F

5、中間合計(D+E+F) 20,668万円………G

6、弁護士費用(Gの15%) 3,100万円………H

7、総合計額(G+H) 23,768万円

損 害 金 計 算 式 4―A

対 吉富・武田

世帯番号 4 患者 亡 平 木 米 吉

1、条 件

生年月日 西暦1930年(昭和5年) 9月25日生

1982年末現在の年齢 52歳

1983年1月1日における余命年数 0年………A

1983年1月1日における稼動可能年数(稼動年限67歳) 15年………B

損害発生年 西暦1975年(昭和50年) ………C

2、逸失利益

(1) 1982年末までの分

別紙逸失利益計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 2,115万円

(2) 1983年1月以降の分

324万円×B=4,860万円

(3) 逸失利益合計((1)+(2)) 6,975万円

(4) 本訴で請求する内金 6,088万円………D

3、介 護 費

(1) 1982年末までの分

別紙介護費計算表中の「年間額」欄の1975〜1979年に該当する金額の合計 552万円

(2) 1983年1月以降の分

144万円×A=0万円

(3) 介護費合計((1)+(2)) 552万円

(4) 本訴で請求する内金 552万円………E

4、慰 藉 料 7,000万円………F

5、中間合計(D+E+F) 13,640万円………G

6、弁護士費用(Gの15%) 2,046万円………H

7、総合計額(G+H) 15,686万円

8、相続額

(1)妻 葉子 1/3 5,228万円

(2)子 和恵 1/3 5,228万円

(3)子 美絵 1/3 5,228万円

9、家族慰藉料(弁護士費用込)加算総合計額

(1)妻 葉子 5,228万円+690万円=5,918万円

(2)子 和恵 5,228万円+345万円=5,573万円

(3)子 美絵 5,228万円+345万円=5,573万円

損 害 金 計 算 式 4―B

対 国

世帯番号 4 患者 亡 平 木 米 吉

1、条 件

生年月日 西暦1930年(昭和5年) 9月25日生

1982年末現在の年齢 52歳

1983年1月1日における余命年数 0年………A

1983年1月1日における稼動可能年数(稼動年限67歳) 15年………B

損害発生年 西暦1975年(昭和50年) ………C

2、逸失利益

(1) 1982年末までの分

別紙逸失利益計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 2,117万円

(2) 1983年1月以降の分

324万円×B=4,860万円

(3) 逸失利益合計((1)+(2)) 6,977万円

(4) 本訴で請求する内金 6,088万円………D

3、介 護 費

(1) 1982年末までの分

別紙介護費計算表中の「年間額」欄の1975〜1979年に該当する金額の合計 552万円

(2) 1983年1月以降の分

144万円×A=0万円

(3) 介護費合計((1)+(2)) 552万円

(4) 本訴で請求する内金 552万円………E

4、慰 藉 料 5,000万円………F

5、中間合計(D+E+F) 11,640万円………G

6、弁護士費用(Gの15%) 1,746万円………H

7、総合計額(G+H) 13,386万円

8、相続額

(1)妻 葉子1/3 4,462万円

(2)子 和恵1/3 4,462万円

(3)子 美絵1/3 4,462万円

9、家族慰藉料(弁護士費用込)加算総合計額

(1)妻 葉子4,462万円+690万円=5,152万円

(2)子 和恵4,462万円+345万円=4,807万円

(3)子 美絵4,462万円+345万円=4,807万円

損 害 金 計 算 式 5―A

対 科 研

世帯番号 5 患者原告 三 田 健 雄

1、条 件

生年月日 西暦1936年(昭和11年) 3月2日生

1982年末現在の年齢 46歳

1983年1月1日における余命年数 33年………A

1983年1月1日における稼動可能年数(稼動年限67歳) 21年………B

損害発生年 西暦1973年(昭和48年) ………C

2、逸失利益

(1) 1982年末までの分

別紙逸失利益計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 2,427万円

(2) 1983年1月以降の分

324万円×B=6,804万円

(3) 逸失利益合計((1)+(2)) 9,231万円

(4) 本訴で請求する内金 8,032万円………D

3、介 護 費

(1) 1982年末までの分

別紙介護費計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 1,145万円

(2) 1983年1月以降の分

144万円×A=4,752万円

(3) 介護費合計((1)+(2)) 5,897万円

(4) 本訴で請求する内金 4,560万円………E

4、慰 藉 料 7,000万円………F

5、中間合計(D+E+F) 19,592万円………G

6、弁護士費用(Gの15%) 2,938万円………H

7、総合計額(G+H) 22,530万円

損 害 金 計 算 式 5―B

対 国

世帯番号 5 患者原告 三 田 健 雄

1、条 件

生年月日 西暦1936年(昭和11年) 3月2日生

1982年末現在の年齢 46歳

1983年1月1日における余命年数 33年………A

1983年1月1日における稼動可能年数(稼動年限67歳) 21年………B

損害発生年 西暦1973年(昭和48年) ………C

2、逸失利益

(1) 1982年末までの分

別紙逸失利益計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 2,427万円

(2) 1983年1月以降の分

324万円×B=6,804万円

(3) 逸失利益合計((1)+(2)) 9,231万円

(4) 本訴で請求する内金 8,032万円………D

3、介 護 費

(1) 1982年末までの分

別紙介護費計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 1,145万円

(2) 1983年1月以降の分

144万円×A=4,752万円

(3) 介護費合計((1)+(2)) 5,897万円

(4) 本訴で請求する内金 4,560万円………E

4、慰 藉 料 5,000万円………F

5、中間合計(D+E+F) 17,592万円………G

6、弁護士費用(Gの15%) 2,638万円………H

7、総合計額(G+H) 20,230万円

損 害 金 計 算 式 6―A

対 科 研

世帯番号 6 患者原告 安 田 キ ミ

1、条 件

生年月日 西暦1921年(大正10年) 9月1日生

1982年末現在の年齢 61歳

1983年1月1日における余命年数 20年………A

1983年1月1日における稼動可能年数(稼動年限67歳) 6年………B

損害発生年 西暦1975年(昭和50年) ………C

2、逸失利益

(1) 1982年末までの分

請求原因13(一)記載のとおりの金額 2,117万円

(2) 1983年1月以降の分

327万円×B=1,962万円

(3) 逸失利益合計((1)+(2)) 4,079万円………D

3、介 護 費

(1) 1982年末までの分

別紙介護費計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 977万円

(2) 1983年1月以降の分

144万円×A=2,880万円

(3) 介護費合計((1)+(2)) 3,857万円………E

4、慰 藉 料 7,000万円………F

5、中間合計(D+E+F) 14,936万円………G

6、弁護士費用(Gの15%) 2,240万円………H

7、総合計額(G+H) 17,176万円

損 害 金 計 算  式 6―B

対 国

世帯番号 6 患者原告 安 田 キ ミ

1、条 件

生年月日 西暦1921年(大正10年) 9月1日生

1982年末現在の年齢 61歳

1983年1月1日における余命年数 20年………A

1983年1月1日における稼動可能年数(稼動年限67歳) 6年………B

損害発生年 西暦1975年(昭和50年) ………C

2、逸失利益

(1) 1982年末までの分

請求原因13(一)記載のとおりの金額 2,117万円

(2) 1983年1月以降の分

327万円×B=1,962万円

(3) 逸失利益合計((1)+(2)) 4,079万円………D

3、介 護 費

(1) 1982年末までの分

別紙介護費計算表中の「1982(昭和57)年までの累積額」欄でC年に該当する金額 977万円

(2) 1983年1月以降の分

144万円×A=2,880万円

(3) 介護費合計((1)+(2)) 3,857万円………E

4、慰 藉 料 5,000万円………F

5、中間合計(D+E+F) 12,936万円………G

6、弁護士費用(Gの15%) 1,940万円………H

7、総合計額(G+H) 14,876万円

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